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2005年06月29日

「プリンセス・クラシック」

配信された某チケットサービスのメールマガジンを見て目が点に。じゃなくて星にか。

★お姫様のための「プリンセス ・クラシック」★

プリンセス・クラシックの世界へようこそ ―――
美しいプリンセス達をイメージした華やか、優雅なクラシック曲コレクション。
宮廷文化華やかなりし時代の名曲に耳を傾ければ、
薫り高いロマンの旅が始まります。

エエエエエエ

もらったメールの情報がこれ、東芝EMIの「ファミリークラブ」のサイトがこれで、キンキラキンを見ていただくとして、マリー・アントワネット生誕250年と何が関係あるのか知らんが、「声楽家」池田理代子センセのファン以外に買う人の想像がつかない。
マリー・アントワネット、マリア・テレジア、ルクレツィア・ボルジア(って年代的に全然あってないんですが)、エリーザベートと総出演。

お姫様はブルックナーとかショスタコーヴィッチとか、ましてやシュトックハウゼンは聴かないということなのだろう。

アンサンブル・モデルン@「東京の夏」

シュトックハウゼン祭りに行けなかったくやしさを紛らわそうと思っていたところ、そうだアンサンブル・モデルンのコンサートがあったと、職場からダッシュした何とか間に合った(どうにか帰れる日であった幸運)。

「日・EU市民交流年」「日本におけるドイツ年2005/2006」参加公演
<20世紀の古典から委嘱新作まで>
アンサンブル・モデルン、指揮フランク・オルー
2005年6月28日 東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル

ドビュッシー/ザックス編曲:牧神の午後への前奏曲
鳥養 潮:≪Venus is the Plane≫(<東京の夏>音楽祭2005 委嘱新作初演)
イェルク・ヴィトマン:《フライエ・シュトゥッケ》(2002)(日本初演)
シュトックハウゼン:アデュー
シェーンベルク:室内交響曲 第1番 Op.9

シェーンベルク以外は、もちろん初めて聴く曲ばかり(ちなみにシェーンベルクは確か3回目)。
初演の曲もあるので演奏の質について言うのは難しいが、相変わらずの技術の高さ(特にホルンのお姉さん万歳)、ノリのよさで楽しめる演奏会であった。
「牧神」はヴァイオリン2、コントラバス、フルート、オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット、ピアノ、ハルモニウム、打楽器という編成であるが、元の曲よりさらに透明感の増した響き、夏向き仕様となる。
鳥養潮という作曲家は北米で活躍している人で、当日も来場していたが、風貌も作品も欧米で長く暮らしている「日本風」を出した人という感じ。
ヴィトマンは1971年生まれのドイツの作曲家兼クラリネット奏者。作曲家自身が演奏家ということも影響しているのか、アンサンブル・モデルンの名人技が引き立つ作品(奏者がフラストレーションを起こすような、休みばかりの作品ではない。

休憩時間に「東京の夏」音楽祭20周年(!)記念の映像記録のDVDが売られている中から「ベトナム古都フエの雅楽」を購入。
こういうの見つけたら即買わないと、入手困難になりそう。

2005年06月28日

シュトックハウゼン祭り・・・に行けなかったorz

最近のいちばんの痛恨事は、シュトックハウゼン祭りに行けなかったことである。
レクチャー、3日間のコンサートとも直球どまんなか、仕事、自分の出る演奏会のGP(総練習)、本番にもろぶちあたりであった。
「LICHT-BILDER」、「少年の歌」、「テレムジーク」、「コンタクテ」…これを逃したら、次、いつ聴けるんだよ・゚・(つД`)・゚・
いろんなブログ(例えばここ)、サイトで感想を読むと、作曲家はミキサーの前に座ってたようで、楽しそうだったみたいだ。
だれか祭りをもう一度やってくれる人はおらんかのう。

2005年06月27日

ブルックナー月間終わる

昨日(6月27日)をもって,6月中のブルックナーの交響曲本番2回はおしまい。
基本的には所属オーケストラでの活動そのものについては書かないことにしているので触れないが(注)、1月の間に高関健氏、キンボー・イシイ=エトー氏と指向性の違う指揮者でブルックナーの交響曲を演奏できたことは貴重な体験であったと思う。
(注)単に「あいつ弾けないくせにあんなこと書いて・・・」と言われたらどうしよう、ということです。

それぞれの演奏に対する自分の好みの違いは当然あるが、どちらの演奏もコンセプトがはっきりしており、その点ではやりやすかったし、指揮者のアイディアの豊富さにも感銘を受けた。
ふだんのホームグラウンドのオーケストラのほうではプログラムに使うブルックナー交響曲第9番について書いた駄文があるので、記録のために載せておく。

ちなみにその筋では有名な「特定顧客」な方(かなりの婉曲表現)が、「なぜブルックナーは第4楽章をやらないのか、主催者を呼べ」といっていたらしい。

ブルックナー交響曲第9番 ニ短調 WAB.109

 ブルックナーは作曲家生活の中で成功に恵まれなかったが、1884年12月30日、ライプツィヒにおける交響曲第7番の初演(アルトゥール・ニキシュ指揮)、および翌1985年3月10日のミュンヘンにおける同曲の再演(ヘルマン・レヴィ指揮)により初めて大成功を経験する。
 自信をつけたブルックナーは1884年10月1日から1887年9月4日にかけて交響曲第8番を書き上げ、自信をもって、9月19日、交響曲第7番の2回目の指揮を行った指揮者ヘルマン・レヴィに送り、また同8月12日には交響曲第9番の作曲にとりかかった。
 ところが、レヴィは自信作であった交響曲第8番に対し否定的な意見を述べ演奏を拒絶し、これによりブルックナーは一時は神経衰弱が再発するほど自信を喪失し、交響曲第3番(1889年稿(第3稿))、同第1番(1891年稿(第2稿))、交響曲第4番(1888年稿、注1)、交響曲第8番(1890年稿(第2稿))の改訂をそれぞれ行い、その間、交響曲第9番の作曲は中断されることとなる。
 ブルックナーが次に交響曲第9番の作曲の作業を行ったのは1889年1月4日で(ブルックナーは祈祷の回数まで書く記録マニアだったので、作業の日付が克明に記録されている)、本格的に作曲を再開したのは1891年に入ってからで、並行して書いていた「ヘルゴラント」などの作曲を終え交響曲第9番のみに専念できるようになるのは1893年夏になってからである。第1楽章は1892年10月14日、第2楽章は1893年2月27日にいったん完成し、それぞれ1893年12月23日、1894年2月23日に加筆作業を終える(なお、第2楽章のトリオは当初ヴィオラ独奏が活躍する形態が考えられており、2種作られたが破棄されている)。また第3楽章は1893年1月に作曲作業が開始され、1894年11月30日、完成する。
 他方、名声の高まりと反比例するように、1890年代初頭からブルックナーの健康は悪化をたどり、第3楽章の作曲は思うように進まなかった。自分の死の可能性について考えるようになったブルックナーは、1893年11月には遺言書を作成し、1894年11月12日にはウィーン大学の講義でこう述べている。
「私の交響曲第9番の3つの楽章ができました。(中略)私はこの交響曲に随分力を注ぎ込みました。自分の年齢と病気のことを考えればそんなにがんばるべきではなかったかもしれません。アダージョは(中略)私が書いた一番美しい緩徐楽章です。私はこれを弾くたびに、心を深く捉えられます。私がこの曲の完成の前に死ぬようなことがあったら、『テ・デウム(注2)』をこの曲の第4楽章に使ってほしいと思います。」
 これがブルックナーのウィーン大学での最後の講義となり、1894年12月に肋膜炎を患い、一時は死も覚悟される。1895年5月24日に第4楽章の作曲に着手するものの、水腫が悪化し自力では自宅の階段の昇降が困難となり、1895年7月にはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のはからいでウィーンのベルヴェデーレ宮殿の一隅に住居を与えられ、残る生命力を振り絞り第4楽章の作曲に取り組む。そして、1896年10月11日、この日も午前中は作曲を行っていたが、午後、急激に病状が悪化し、ブルックナーは72歳の生涯を閉じる。
 
 ブルックナーの作曲は、まず全体の小節数の設定、和声の進行など全体の基本構造を設計し、それから各パートの実際の音符を書いていくという手法で行われており、残された第4楽章についても1896年5月までに提示部がスコアとして残され、中間部のフーガの部分、さらにコーダのスケッチまで作業を終え、6月にはスコアの最終章まで弦楽器の音符を置き、さらに全体構造の修正を行った模様であり、断片も含めると500小節余りが確認されている。ブルックナーは完成した第1~3楽章ですでに頻出する不協和音、斬新な和声進行と20世紀音楽を予感させる世界に踏み込んでいるが、第4楽章が完成していればブルックナーとしては最大規模となる、前人未到の世界がつくられるはずであった。
 第1~3楽章の初演が「第3楽章までに音楽的に完成している」という言説とともに行われたこと、ブラームスの交響曲第3番、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、マーラーの交響曲「大地の歌」、第9番などで聴衆が静かに終わる交響曲に違和感を持たなくなっていること、また、ブルックナーが考えた「テ・デウム」を第4楽章の代わりとする演奏は調性の問題(ホ長調の第3楽章の後にハ長調の「テ・デウム」を演奏するのは違和感がある)などから、今日、この交響曲は第1~3楽章のユニットが完成した作品のように扱われている。しかし、シューベルトの交響曲第7番(「未完成」)のように作曲が中断されてしまった訳でもなく、行き詰まって放置された訳でもなく、ブルックナーがあと数ヶ月生きていれば完成されていたであろうこと、完成すれば20世紀音楽の入り口となった作品だったかもしれないことは、心に留めておくべきだろう。

 この交響曲の第1~3楽章の初演は1903年2月11日にフェルディナント・レーヴェの指揮によって行われたが、ブルックナーの他の交響曲と同様、聴衆に親しまれるようにしようというブルックナーの崇拝者たちの「善意」により、オリジナルのオーケストレーションから大幅に改竄された形で演奏、出版された。1927年に設立されたブルックナー協会は、最重要課題としてブルックナーが意図した本来の姿での全集刊行を挙げ、交響曲の第一弾としてアルフレッド・オーレル校訂による交響曲第9番が1932年改竄譜との比較演奏として演奏され、1934年出版された。この第1次全集プロジェクトの後、第2次世界大戦後の1951年第2次全集プロジェクトが開始され、交響曲第9番はレオポルト・ノーヴァクの校訂により1951年刊行される(オーレル校訂の楽譜の微修正)。また、その後発見された資料などを踏まえ、2000年にベンジャミン=グンナー・コールズの校訂により新版の楽譜が出版され、本日はノーヴァク、コールズ校訂の楽譜をもとに演奏する。なお、未完成の第4楽章についても演奏可能なよう補筆完成する試みが、複数行われている。


 第1楽章 荘重に、神秘的に
 ブルックナーの特徴である3つの主題を持つソナタ形式であるが、展開部、再現部は定石から大きく離れた独自のており、ここにもブルックナーの交響曲作家としての成熟をみることができる。

第2楽章 スケルツォ.動きを持って、生き生きと;トリオ.速く
 ブルックナーのこれまでの交響曲ではスケルツォ、トリオは親しみやすい楽想を持ち、また素朴な民謡風の楽想であることが多かったが、この楽章は不安な楽想が支配し、また野生的、原始的性格を持っており、狂喜乱舞するような叩き付ける不協和音の連打も頻出する。

第3楽章 アダージョ.ゆっくりと厳かに
 この楽章はホ長調であるが、ブルックナーは「聖なるもの」を表すときは十字架との連想でシャープ系の調性を用いることが多かった。また、曲が始まって最初の頂点でトランペットが反復するラッパ信号風の音形はワグナーの「パルジファル」、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」などでもみられる「救済」の象徴とみることもできる。その後、ホルンとワグナー・チューバで奏されるコラール風の楽句はブルックナーが「この世からの別れ」と呼んだと伝えられている。曲の最大のクライマックスでは強烈な不協和音が使われ、交響曲第8番の第3楽章、交響曲第7番冒頭の主題を回想し、静かに曲が終わる。

(注)
[1]1888年稿、従来他者の意見の言いなりのまま改訂を行ったとされ、「改訂(改竄)版」と呼ばれていたが、近年ブルックナー自身が積極的に改訂に関わったことが明らかになり、作曲家本人による改訂を編纂した楽譜が出版されている。)
[2]1881~1884年作曲、1886年初演の独唱、混声合唱、オーケストラによる宗教曲。なお、交響曲第9番の第3楽章にもこの曲の引用とみられる楽句がある。

2005年06月21日

「200CD交響曲の秘密」

また「200CD」シリーズで「200CD 交響曲の秘密」が出てたので購入。
目次はこれ。

第1章 作曲家はこんなことを考えている1―交響曲は音の建築
第2章 吉松隆インタビュー 交響曲はエモーショナルな情報でいっぱい―作曲家のこだわり
第3章 交響曲をカタチで聴く!―もう最後まで迷わず聴けます
第4章 高関健インタビュー 交響曲のここを聴いてほしい!―指揮者のこだわり
第5章 はじめての交響曲たち―十八世紀のはじけた世界を聴いてみよう
第6章 作曲家はこんなことを考えている2―多彩な響きと新しいカタチ
第7章 交響曲に込められたメッセージを聴く―再び時代に求められたカタチ

高関健ちゃん(←おいおい)インタビューは、前作「ベルリン・フィル」でも評判がよかったから再登板なのか。今回も指揮者として曲をどう捉えているかがよくわかる話で、古典を弾くのは現代曲を弾くためであるという話や、スタイルをよく考えずに弾いてる演奏が多いというのは、そのとおりとバンバン机を叩いた。
あとは例によって玉石混交だが、マニアックなマイナー交響曲についての記載、あと吉松隆インタビューも面白かった(私にとってはこのインタビューのほうが作品よりずっと面白い)。

2005年06月20日

N響、禿強化月間(なわけない)

テレビでやってたN響の5月定期演奏会(といっても6月に入っているもののある)を、何回か立て続けに見る。
指揮者はパーヴォ・ヤルヴィ、A定期のヒラリー・ハーンを除き、ソリストも皆、立派な禿頭で、「禿強化月間」というつまらないフレーズが頭に浮かんでしまっただけ。
ちなみに、パーヴォはショスタコーヴィチの交響曲が終わると拍手に応えながら、ない髪の毛をかきあげていた(!)。

[A定期]
・トゥール:アディトゥス [ 2000/2002改訂 ]
・プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 (ピアノ:アレクサンドル・トラーゼ)
・シューマン:交響曲第3番「ライン」

[B定期]
・ペルト:フラトレス [1977/1991 改訂]
・プロコフィエフ:ヴァイオリンバイオリン協奏曲第1番 (ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

[C定期]
・シューマン:チェロ協奏曲(チェロ:トルルス・モルク)
・ラフマニノフ:交響曲第2番

コンチェルトはどれも聴きものであったと思う。ややアイメークが濃くなったヒラリー嬢は、左手も右手も絶妙なコントロールで、まさに「才気煥発」というのがぴったりな演奏家でもある。
禿1号じゃなくてモルクはエンターティメント性が薄い芸風で、あまり日本では人気ではないようなのが残念だが、内向的な曲想でかつ音程の跳躍が多い(←正確な使い方でないけど言わんとすることをわかっていただければ)など何気に技術的に難しいところてんこもりの曲に誠実に対峙し、よい結果を生んでいたと思う。
禿2号トラーゼの演奏は、この曲はもっと端正で精密なほうがいいと思う人もあろうが、こういう熱演もアリだと思う。(映像を見てるとちょっと笑ってしまうが。)
交響曲でいちばん楽しめたのは、実は大の苦手なラフマニノフ。シューマンも管楽器に不満がないわけではないが、佳演。ショスタコーヴィチは何か工夫をするとあざとさ、曲に内在するわざとらしさみたいなものが出てきてしまう(要は、この曲もあまり好きじゃなかったりする)。

2005年06月19日

オーケストラの練習

本番まで1週間。同じメーカーのチェロケースがならぶ。

2005年06月16日

東京シティフィル第190回定期演奏会 「ラテン・アメリカ音楽への誘い」(6月15日)

東京シティフィル第190回定期演奏会 「ラテン・アメリカ音楽への誘い」

レスピーギ:ブラジルの印象
コープランド:クラリネット協奏曲
ヒナステラ:バレエ組曲「エスタンシア」 作品8a
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第8番
指揮:矢崎彦太郎  クラリネット:赤坂達三

また中断してました。自分の意志薄弱さに嫌気がさす毎日。
過去は振り返らず再開してみる。

このコンサートは、先日オーケストラの練習で行った江東区の施設にチラシがあって知ったもの。仕事も間に合いそうだったのでレッツゴー。
コープランド以外は実演に接するのは初めてである。ブルヲタでもこういう曲目は好きだったりもする。

いちばん印象に残ったのは「エスタンシア」。曲の長さがダレない程度でもあるのも影響しているのだろうが、爆発するエネルギーというのはないが、打楽器の大活躍とともに曲の楽しさが素直に出ているまとまった演奏。
コープランドは、甘いマスクのクラリネット奏者・赤坂達三氏の演奏は初めて聴いたが、クラリネット協奏曲の種類がさほど多くないからレパートリーにしているのだろうが、ポップスも手がける演奏家にしては意外に端正というかジャズ的、民族音楽的要素が強くない演奏で、それを期待すると少々物足りない演奏であった。上手いのは間違いないのだが。
「ブラジルの印象」は、一般的レパートリーにならないのもむべなるかなという曲である。部分的にはっとするところもあるのだが、長続きしないというか。別のオーケストラで聴いたら印象が違うのかもしれないが。
「ブラジル風バッハ」第8番は2曲めの弦楽器のメロディが美しいが、下手をするとムード音楽的になりそうで(弦のユニゾンもあったりする)、(おそらく)短時間の練習で聴かせるようにするのは難しい曲であると思った。プログラムも「エスタンシア」を最後にすると盛り上がって終わったのではないか。

シティフィルの演奏を聴いたのは久しぶりであるが、財政等環境がよくないなか団員も少なく、コープランド以外の曲では演奏するのに人数がやや少ないと思う(弦は14-12-10-8-7)アマチュアではないので18型の必要はないだろうが、このオーケストラの最大の売り物で集客力もある飯守泰次郎指揮ワーグナーなどドイツロマン派ものをやるときはどうしているのだろうか。シティフィルのサイトを見ると、団員、事務局員の異動も激しいようで気になった。