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2005年09月30日

『ピアニストが見たピアニスト』

ピアニストが見たピアニスト

白水社のサイトの本の紹介はこれ
あちこちで評判がいいようなので購入して読んでみた。

取り上げられているピアニストは、



負をさらけ出した人―スビャトスラフ・リヒテル
イリュージョニスト―ベネデッティ=ミケランジェリ
ソロの孤独―マルタ・アルゲリッチ
燃えつきたスカルボ―サンソン・フランソワ
本物の音楽を求めて―ピエール・バルビゼ
貴公子と鬼神の間―エリック・ハイドシェック

である。

私は、チェロを(趣味で)やっているのに親が転勤族だったため恥ずかしながらピアノのおけいこをしたことがない人間で、本書にあるテクニックに言及した部分については十分な理解をしていないのだが、それでも十分面白かった。

個人のブログで「家政婦は見た」的暴露本という評があったりするが、それはやや的外れというべきで(著者が同業者で「暴露」というのは志の低さを謗られる危険があり、それでもいいという人意外はできまい)、関係者への取材、活字媒体、音源、映像等資料の研究を徹底して行っているもので、著者の分析に賛同しなかったとしても「なぜ、こう考えたか」という道筋は明快に分かるものである。

他方でピアニストでないとわからないステージの上での心理、テクニックにも言及し、バランスのとれたものとなっている。

取り上げたピアニストについてそれぞれの章のサブタイトルに著者の主張は明確である。最後の2人は直接面識のある人でその前の4人とはとりあげるスタンスが違っているのは当然であるが、面識のあるにもかかわらず愛情はあるがヨイショにはなっていないのが、この本のよいところである。

著者の師であるバルビゼについては恥ずかしながら名前くらいしか知らなかったが、演奏についてディスクをゲットして聴いてみようと思う。あと、ハイドシェックも某評論家とその関係者がやたら持ち上げるので恐れをなして聴いたことがなかったのだが、これも偏見はどこかへおいて聴いてみたいと思う。

2005年09月27日

ベルリン・フィル定期演奏会(9/23)

ベルリン・フィルの演奏会にもう1回。

シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲
ラヴェル:シェーラザード
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

マグダレーナ・コジェナ(sop.)
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィル

コンサートマスターはGuy Braunsteinという人なのだろうか(自信なし)。コンサートマスターのサイドにはこの間も今回も安永徹さんが座っている。

この日のプログラムで一番楽しめたのはシェーンベルクで、変奏ごとのキャラクターの違い、同じ音形、旋律の楽器との受け渡しの妙が上手く出ていた。この曲が一番拍手が少なかったが、そんなもんなのだろう。

ラヴェルについては語れるほど曲の知識がなくて、子まで成したコジェナとラトルの競演か、という週刊誌的興味が勝ったまま聴いており、3曲終わった後の表情がなんとなくエロかった。あと、コジェナの歌うときにおでこに横じわでけでなく、時おり縦じわもでき、ワッフル状態だとつまらないことを考えてしまったりとか。ちなみに「死者の歌」のときマッティラは直立のまま歌っていたが、コジェナはオペラのように手振りをつけながら歌っていた。

不思議なプログラムの最後は、「英雄の生涯」であるが、日本のクラヲタの多くはこの曲といえばカラヤン&ベルリン・フィル、と刷り込まれているのだろうが、ラトルもカラヤンの存在を意識しないわけにはいかないだろう。
「英雄の生涯」は来る来日公演にも曲目になっていて、それにあわせるようレコーディングもされる。(前半2曲を実演で聴くのは初めてといっても不思議はないが、後半の曲は弾いたことがあるのにプロの演奏家による演奏で聴くのが初めてだったりする自分がちょっと情けない。)

自分的にはラトルがこの曲を取り上げるのに違和感があるのだが、EMIのサイトには、

「英雄の生涯」は管弦楽に新たな息吹を吹き込んだ壮大な作品で、R・シュトラウス流の皮肉に満ちた楽曲です。自分を“英雄”と呼ぶ作曲家には、皮肉屋が多いものです。私にとって意外だったのは、作曲家と批評家の間のくだらない論争の中で見せた当時まだ30代だった彼の自分に対する考え方です。彼は自分の晩年を想像し、自身に対する疑念や死への恐れ、老後の安らぎのことまで考えていました。これは私を驚かせ、心を動かすに十分だったのです。

というラトルのことばが載っており、こういうことを意図しているらしい。だが、大きい音でベルリン・フィルの妙技が聴けて満足というお客も少なくないだろう。

演奏自体は細かいことを言うと、アンサンブルがずれたかという箇所もあったり、コンサートマスターがソロを弾くのに足でリズム取ったりしてて、苦笑してしまったところもあったが、「英雄の引退と完成」のところはさすがだと思わせる演奏であった。

さて、次にここで聴く機会はあるのか。あと、もう1日いれれば、シュターツ・オパーではギーレン(!)指揮で、「運命の力」というものも見たれたのだが。9月のこんな時期にヨーロッパ行きは、定年までないような予感。
あああああ。

2005年09月24日

DDR再訪(その2)-ドレスデン(9/21-22)

ドレスデンは演奏旅行においては演奏会は行っていないが、ここを拠点に他の町で演奏した場所である。ここは観光地としても見る場所がいっぱいある場所なので、1泊して出かける。往復は鉄道を利用したが、列車がチェコ、ポーランドと国をまたぐこと、またベルリンに戻る列車はチェコ鉄道の車体であったことに地続きであることを感じさせられる。

今回、旧DDR地区に行くとあちこち工事中だったが、ドレスデン中央駅は特に、「これで営業するかよ」と突っ込みたくなるような足場もなにもそのままの状態で、どこが出口なのかわからないまま工事現場のなかをウロウロ途方にくれた。

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駅構内・近くには明らかにアルコール依存症と思われる人もいて、警察の麻薬犬がコインロッカーを嗅がされていた。
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(昔の国営百貨店の建物)

当時,中央駅からエルベ川に向かって歩くと、国営ホテル、百貨店、カフェくらいしかめぼしい建物はなく、戦争で破壊された建物は再建されたものはあるものの、放置されたまま(代表的なのが先般再建された聖母教会)のものも多く、昔、市場がにぎわっていたところも更地となったままで子供がサッカーをしていたが、今は建物がいっぱい立っていて賑わいをみせている。
国営百貨店、国営ホテルとならんで社会主義的様式建築の代表が、クラヲタの皆様には数々の録音場所としておなじみのクルトゥールパラスト(「パラスト」でなく「ハウス」と表記されたものものあるがドレスデン・フィルのサイトを見たら「パラスト」であった)であるが、こちらも工事中。
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(いかにもな社会主義的モチーフ)
これでも営業しちゃうのがドイツ流らしく、外側にはってあったコンサートのポスターを見ると直近で24,25日のドレスデン・フィル演奏会が予告されていた。
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なんとなく、アスベスト使ってそうな建物である。

ゼンパーオーパー一帯は観光地なので、画像は省略するが、ここも日程の関係でコンサート、オペラに行けなかったのが残念である。
DDR時代は、何もないところにいきなりツヴィンガー宮殿をはじめとする建造物がポコッと建っているという様子だったが、聖母教会のそばは観光客用の少々ヘキヘキするようなレストラン、みやげ物屋でいっぱい。ベルリン、ドレスデンであまり見なかった日本人もここでは多く見かけた。深刻な失業のなか観光産業には期待するところ大なのであろう。
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書店に入るとDDR時代に関する本のコーナーもあり、テレビでもDDR時代についての番組を結構やっており、ドイツの戦後については当事者は簡単には終わらせることはできないということなのだろう。

DDR再訪(その1)-ライプツィヒ(9/20)

むかしむかし演奏旅行で当時のDDR(東ドイツ)も行ったが、いまどうなっているかということで足を伸ばしてみる。

ライプツィヒは「東」入りして最初に宿泊した土地である。大気汚染も相まってどんよりした空の色、国情の違いを実感させられた場所でもある。
ベルリンからは特急で約2時間で着いたが、巨大な駅にショッピングモールができて驚き、町に出るとあちこち工事中である。お約束のトーマス教会に行くにも道が行き止まりや迂回路になっていて、工事のホコリに目をしょぼしょぼさせながら歩く。

宿泊したホテルは、DDR政府が国家の誇りとして世界にアピールした新ゲヴァントハウスと道路を挟んで反対側。当時なかったMDR(中部ドイツ放送)の高いビルが建っている。

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ホールの売店に入ると当日(20日)あるMDR交響楽団の演奏会のリハーサルの音が漏れ聴こえてくる。ルイージの指揮で興味もあったのだが、日程の関係で断念。

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売店ではCD2枚のほか、英文のゲヴァントハウスについてのパンフを購入。1991年までの記述なので、ブロムシュテットは登場せず、立派なホールが果たした役割(国際交流として日本の某大学オーケストラの写真もあった)と、マズアがひたすらクローズアップされている。音楽家のことを政治的立場で語るのは愚だが、少なくとも1980年代半ばまではマズアはDDRの広告塔であったわけで(楽屋入り口にも「マズアとそのゲヴァントハウス・オーケストラ」という額縁がかざられていた)、国家のイベントでも指揮をしていたが、民主化運動家としてのみ語られることにちょっぴり心理的抵抗を覚えたりもする。

20年近く前はトーマス教会のそばの楽譜屋でライプツィヒのブライトコプフ(当時はこの会社も東西に分かれていた)から出ていたブルックナーの交響曲のスコアをまとめて買ったが、楽譜屋は健在。ただし、古本・楽譜、中古LPを扱う店になっていた。記念に東のペータースから出ていたブルックナーの交響曲第3番(第3稿、いわゆるノーヴァク版と同じもの)のスコアを購入。

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街を歩くと、ゲヴァントハウスの新カペルマイスターのシャイーを歓迎する看板も立っていた。

2005年09月19日

ベルリン・フィル定期演奏会(9/18)

9月18日20時
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィル
サラ・チャン(vn)、カリタ・マッティラ(sop)、トマス・クヴァストフ(bas-bariton)

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前回来たのは20年近く前。個人情報丸さらしになってしまうが、某大学のオーケストラでの演奏旅行でやってきてカラヤン先生の演奏を聴いて以来である。
当日はドイツの総選挙の日でもあり、ロビーには選挙番組を放映するテレビが置かれ、人だかりができていた。
bpo2.JPG(携帯の電源を切ってね、というメッセージがある。)

協奏曲のほうはサラ・チャンの勢いに圧倒されつつ、オーケストラの名人芸も楽しむ。サラ・チャンは凄いとは思うが、感動したことはなかったが、初めて生で聴いて、こういうのもアリだ、ということで納得。第3楽章冒頭とか、ちょっとチャイコフスキーの協奏曲第2楽章入ってると思ったが。
若手女性ヴァイオリニストでこの曲を演奏・録音する人が多いが、確かに自分のパートを演奏するだけでなく、オーケストラとの細かい掛け合いに集中力を要するので、やりどきというのもあるのだなと思う。(技巧、集中力がピークを過ぎたヴァイオリニストではやりにくかろう。)
休憩時間、ロビーでサイン会が行われ、ちゃっかりもらうこととした。

交響曲は小編成(弦は高いほうから6-5-4-3-2人)。休憩時間中にコンサートマスターのスタブラヴァ、チェロのファウストが一生懸命ソロをさらっていたが、これまた技術的にも難しい曲である。(だから実演に接する機会がないのか。)
ラトルのショスタコーヴィチは以前バーミンガム市響と来日したとき15番を聴いたことがあるが、こういう曲は聴かせるのが文句なしにうまい。(5番の交響曲を演奏したことがあるのかどうか知らないが、取り上げる姿が考えにくい。)
ただ聴き手に緊張を強いる曲でもあり、途中で帰っていく客もいたし、近くにいた日本の企業(?)でエラい人がやってきてチケットを手配しましたグループのおじさんたちも退屈そうであった。
プログラムを眺めたところドイツ語なのでもちろんわからないが、この曲についても生徒たち(?)と学習するプロジェクトをやっているようだ。

なお、CD録音用と思われるマイクがたくさん配置されていたので、いずれ発売されるのだろうか。

2005年09月16日

ドイツへ出発

いよいよ搭乗.

2005年09月13日

何回目の中断か・・・

世の中には日記を欠かさずつけている、しかも抜けがあると気分が悪くなる人もいるが、自分は学校で提出させられる日記以外に続いたことはない。しかもつけてみようと思ったこと自体がこれまでの人生で2度くらい。
これでも自己評価では続いたほう(笑)。
7月に入ってからあちこちに出張でずっと忙しかったのだが、16日からやっと遅い夏休みで、しかもドイツに行ってしまう。旅行にはPCを持っていくし、ベルリン・フィルのコンサートにも行くので、これを機に再開する予定。(←と自分に言い聞かせる)