DDR再訪(その1)-ライプツィヒ(9/20)
むかしむかし演奏旅行で当時のDDR(東ドイツ)も行ったが、いまどうなっているかということで足を伸ばしてみる。
ライプツィヒは「東」入りして最初に宿泊した土地である。大気汚染も相まってどんよりした空の色、国情の違いを実感させられた場所でもある。
ベルリンからは特急で約2時間で着いたが、巨大な駅にショッピングモールができて驚き、町に出るとあちこち工事中である。お約束のトーマス教会に行くにも道が行き止まりや迂回路になっていて、工事のホコリに目をしょぼしょぼさせながら歩く。
宿泊したホテルは、DDR政府が国家の誇りとして世界にアピールした新ゲヴァントハウスと道路を挟んで反対側。当時なかったMDR(中部ドイツ放送)の高いビルが建っている。

ホールの売店に入ると当日(20日)あるMDR交響楽団の演奏会のリハーサルの音が漏れ聴こえてくる。ルイージの指揮で興味もあったのだが、日程の関係で断念。

売店ではCD2枚のほか、英文のゲヴァントハウスについてのパンフを購入。1991年までの記述なので、ブロムシュテットは登場せず、立派なホールが果たした役割(国際交流として日本の某大学オーケストラの写真もあった)と、マズアがひたすらクローズアップされている。音楽家のことを政治的立場で語るのは愚だが、少なくとも1980年代半ばまではマズアはDDRの広告塔であったわけで(楽屋入り口にも「マズアとそのゲヴァントハウス・オーケストラ」という額縁がかざられていた)、国家のイベントでも指揮をしていたが、民主化運動家としてのみ語られることにちょっぴり心理的抵抗を覚えたりもする。
20年近く前はトーマス教会のそばの楽譜屋でライプツィヒのブライトコプフ(当時はこの会社も東西に分かれていた)から出ていたブルックナーの交響曲のスコアをまとめて買ったが、楽譜屋は健在。ただし、古本・楽譜、中古LPを扱う店になっていた。記念に東のペータースから出ていたブルックナーの交響曲第3番(第3稿、いわゆるノーヴァク版と同じもの)のスコアを購入。

街を歩くと、ゲヴァントハウスの新カペルマイスターのシャイーを歓迎する看板も立っていた。