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2006年02月28日

ブロムシュテットのブルックナー交響曲第3番第1稿

行きたかったけど出張で東京に不在のためかなわなかった演奏会。
もうちょいできる子モードを聴きたいと「N響アワー」の後、見る。

NHK交響楽団第1561回定期演奏会
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
ブルックナー: 交響曲 第3番 ニ短調 ( 第1稿・1873 )
ピアノ : ラルス・フォークト (モーツァルト)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団
指 揮 : ヘルベルト・ブロムシュテット
[ 収録: 2006年2月8日, サントリーホール ]
このコンビでブルックナーのこの交響曲の同じ第1稿の演奏は、すでにやっており、そのときは実演に接することができた。ブロムシュテットは「演奏困難」とされたこの楽譜に真面目に取り組むので、楽譜に書かれている拍のずれ、暴力的なまでに突然止まる曲など曲の当時としては前衛的な部分をきちんと再現しようとするので(きちんと再現できたとは書かないが)、そういう部分がいっそう際立つことになるので、満足。 それだけに、最後にキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!というAAそのままのブロムシュテットの顔を曇らせた、指揮棒が降りないうちに拍手をしたヴァカが憎い。

ついでにブロムシュテットがゲヴァントハウス管弦楽団を振ったこの曲のCDも聴き、さらに堪能。第4楽章などもうたまりません。…(;´Д`)ハァハァ 
モーツァルトはこの曲としては暗めの演奏(それも悪くはないが)。モーツァルトイヤーなんて…というひねた自分にはかえってよいかもしれない。

2006年02月26日

やる気ない子モードの演奏N響アワー(2/26)

こういう番組にケチつけるのも無粋だとは思うが、ちょっとむかついたので。

 − シューベルトは歌謡曲!?
            斎藤晴彦の“歌うクラシック” 
「交響曲 第7番 ロ短調“未完成”から 第2楽章」
                      シューベルト作曲
                (指揮)マルク・アルブレヒト
  〜NHKホールで録画〜
「交響曲 第8番 ヘ長調 作品93から 第1楽章」
                      ベートーベン作曲
                  (指揮)ウーヴェ・ムント
  〜NHK大阪ホールで録画〜
「歌劇“フィガロの結婚”序曲」       モーツァルト作曲
                  (指揮)イルジー・コウト
  〜東京・サントリーホールで収録〜
「“夏の夜の夢”序曲」         メンデルスゾーン作曲
                      (指揮)阪 哲朗
  〜NHKホールで録画〜
 
2つめ、4つめの演奏が悪い子モードのN響の悪例そのもの。前者は指揮者のせいもあるのだろうが、メリハリなくただ弾いているだけ。ベートーヴェンの強弱記号は無視され、ずっとmf(メゾフォルテ)で推移。 後者は露骨に若手日本人指揮者を馬鹿にする態度がそのまま演奏に現れ、合奏をきちんと合わせることすらいってない。 非音楽人がゲストだからといっても、もうちょっと選んでやれよ...。

アレキサンドル・トラーゼの赤いタオル

NHK教育でやっている「スーパーピアノレッスン」。ピアノは弾けないので見てなかったのだが、深夜にまとめてやったルイサダが講師のショパンが面白かった。で、続けてアレキサンドル・トラーゼが講師の「大曲に挑む」のシリーズも見てるのだが、汗を首に巻いた赤いタオルで拭き拭き熱烈指導をするトラーゼに惚れた(リンク先はトラーゼ・ピアノ・スタジオ)。
(そういえばトラーゼは前サロネン指揮N響定期でショスタコーヴィチの協奏曲第1番を熱演したのを楽しく聴いたが、演奏が終わって首席トランペットS氏と抱き合う様は相撲のがぶり寄りであった。)
前記のとおりピアノを勉強したことがないので、技術的なことはよくわからないのだが、ハイドン(ソナタHob.ⅩⅥ-49)では見かけに反して(?)繊細な歌にこだわりで、ベートーヴェン(ピアノソナタ第30番)はメカニックな面だけでなくフレーズをどう聴かせるようにするか、音楽の間(無音)をどう捉えるかという指導。
得意中のレパートリーであるプロコフィエフ(ソナタ第7番)では、「ここはトロンボーン、チューバをイメージして」とブォーと声を出してマネまでしたり(「バスクラリネットのように」と指導していたところも)、メロディを聴かせるのではなく内声を聴かせるようにという指示。何拍子の曲を弾いているのかきちんと考えながら弾くようにとか(楽譜が4分の3拍子なのに8分の6拍子に聞こえる、と注意されてた)、同じ箇所でも左手にアクセントがあるからといって、右手に楽譜に書いてないアクセントをつけるななど、当たり前だが、技術的に困難な20世紀の曲ではきちんとやるのも大変なことであるが、ピアノじゃない楽器を少々いじる身にも勉強になることばかりである。
最初に言ってた「演奏するときに楽譜の行間を深読みする必要はない。作曲家は楽譜に全てを書き残しているのだから。」というのもいいセリフだ。

5日にプロコフィエフの分まとめて再放送があるので、また録画して見よう。


2006年02月20日

演奏会本番終わる

とにかく疲れた。自分の演奏については書くと墓穴を掘るだけなので書かない。orz
意外な話としては、競演させていただいたソプラノ歌手の方、R.シュトラウス「4つの最後の歌」をオーケストラ伴奏で歌うのは初めてとのこと。
確かに、日本でのR.シュトラウスの受容は管弦楽作品の作曲家としてが主で、オペラが少し、歌曲になるともっと少しだ(「4つの最後の歌」以外の演奏機会は限られるだろう)。
ちなみに、4つの最後の歌で頭がよくなる・・・らしい。
http://www.universal-music.co.jp/classics/refresh/classic_atama/uccg3930_3932.html

次回は、バッハ=シェーンベルク「前奏曲とフーガBWV552」とマーラーの交響曲第7番とまたまたヘビーである。ちょっと前まで、前者のCDの数>後者のCDの数だったので曲の勉強、勉強。

2006年02月17日

粗製濫造の新書業界だが…

本の名前そのものをタイトルにするのはやめておくが、手元の本を読み終えてしまったので書店に置いてあった『ヴァイオリンとチェロの名盤 カザルスからヴェンゲーロフまで50人を聴く』(平凡社新書、ISBN4-582-85311-0)という本を買った。
読み始めてみたが、こんなことが気になりだして、だんだん怒りに変わってきた。
・入門者が読むことが多いのに個々の演奏家の代表盤として挙げられているものが、趣味に偏りすぎである。(別にお気に入りの1枚を挙げているから、そういうのはそっちで挙げればいい。)
・参考文献を見ると、プロが読む本とは思えない一般的なもので、あと各種サイトを参考にしている。パクリとまでは言わないが、どんなものか。
・ということなので、事実関係の調査が不十分で、五嶋みどりが鈴木メソッドで勉強していたことになっていたり(竹澤恭子と間違えたか?)、漆原啓子・朝子とも欧州在住にされてしまっていたり、という事実誤認。また、コンクールで世に出る演奏家が多いというのは最近の傾向であるということを挙げるのに、ロストロポーヴィッチ・チェロ国際コンクール特別賞の長谷川陽子を挙げるのは、挙げる意味からするとずれているように思う。
・もちろん著者の好みを排除して本を書くことは不可能であるが、千住真理子のように50人に挙げる演奏家とは思えない人がいたり、シゲティに対する揶揄的な表現も(テクニック的にダメなのをありがたがって聴いていたという主旨の表現)あり、理解に苦しむところが多い(シゲティのSP時代の録音も含まれたCDのセットを挙げているが、例えばプロコフィエフの協奏曲第1番のSP録音を本当に聴いたのだろうか)。

著者は平凡社新書で既に指揮者、ピアニストについて同種の本を出しているようだが、「3日でクラシック好きになる本」というのを出していることからして、よく言えばフットワークが軽いのだろうが、ノリ優先とも言える。新書のクラシック音楽の本でしかも入門者がターゲットである本がコーホー先生だったり、丸山真男と近いことが売りなだけのおっさんだったり・・・(以下自粛)。出版業界の人は書き手をもう少し考えて選んでほしいと切に思う。そんなのは言ってもムダだろうけど。

2006年02月09日

ノリントンのブラームス交響曲第2、4番など

ュトゥットガルト放送交響楽団とCDも多数出しているノリントンであるが、その演奏会。2月6日のオンエア。

ロジャー・ノリントン指揮/シュツットガルト放送交響楽団演奏会
ヴォーン=ウィリアムス:交響曲第6番
ブラームス:交響曲第2番(45分25秒)
(以上2005年5月5日、ドイツ・シュツットガルトリーダーハレ内・ベートーベンザールで収録)
  マーラー:「なき子をしのぶ歌」(24分48秒)
(バリトン)マティアス・ゲルネ
ブラームス:交響曲第4番(39分10秒)
(以上2005年6月29日、ドイツ・シュツットガルトリーダーハレ内・ベートーベンザールで収録)  
解説はネコケンこと金子建志先生(と敬称をつけてしまおう)。解説にノリントン演奏の特徴をお得意CD比較が出てきた。思えば、20年以上前、ネコケン先生の解説で同曲異種聴きくらべに目覚め、破滅への道をたどることとなったのだ。(その後TVやコンサート会場でご尊顔を拝し、ダンディな声との乖離に愕然orzとなったのは内緒だ。(ごめんなさい))

ノリントンのブラームス演奏に対する考え方は例えばこれで読むことができるが、「弦、木管、金管の3つの対等な声部がはっきりと読みとれます」とあるように、弦がヴィブラートをかけないので、声部がくっきりと浮き上がってきて、動きそのものが楽しい。
マーラーもヴォーン=ウィリアムズもこのスタイルであるが、特になじみのない後者が面白く聴けた。

今年11月にNHK交響楽団を振るらしいが、ちゃんと団員は付き合うのだろうか、と小声で言ってみる。