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2006年03月23日

雑誌編集部のチェック能力は

店頭の「レコード芸術」4月号の表紙を見ると、

[新企画]吉田秀和「之を楽しむ者に如かず」


と印刷されている。
休載していた仕事の再開か、元気になられたのかと思い手に取ったが、びっくり。
なんと、パトリス・シェローの演出、ブーレーズの指揮によるバイロイト音楽祭の「リング」登場が、「1968年の夏で、例のパリの学生たちの五月革命を筆頭にドイツ各地でも若者たちの「反乱」の火の手が燃えさかっている最中」になっちゃっている(正しくはもちろん1976年、文脈からするとただの誤植ではないようだ)。
そういう時代精神の洗礼を受けた演出家ということは言えるかもしれないが、バイロイト初登場は間違い。
書いた人の責任でもあるが、うっかりは誰にでもある。「レコード芸術」編集部はこれをチェックする能力がないのか、わかってはいたが間違いを指摘できないのか。前者だとしたら怠慢、能力不足だし、後者だったら偉い大先生を祭り上げているようで実は大恥をかかせている行いでしかない。
前から大宗を占める外部執筆者原稿のチェック能力に疑問を持ってはいたのだが、これを見て最近ずっと買っていなかったが、もう買うことがないような気がしてきた。

2006年02月17日

粗製濫造の新書業界だが…

本の名前そのものをタイトルにするのはやめておくが、手元の本を読み終えてしまったので書店に置いてあった『ヴァイオリンとチェロの名盤 カザルスからヴェンゲーロフまで50人を聴く』(平凡社新書、ISBN4-582-85311-0)という本を買った。
読み始めてみたが、こんなことが気になりだして、だんだん怒りに変わってきた。
・入門者が読むことが多いのに個々の演奏家の代表盤として挙げられているものが、趣味に偏りすぎである。(別にお気に入りの1枚を挙げているから、そういうのはそっちで挙げればいい。)
・参考文献を見ると、プロが読む本とは思えない一般的なもので、あと各種サイトを参考にしている。パクリとまでは言わないが、どんなものか。
・ということなので、事実関係の調査が不十分で、五嶋みどりが鈴木メソッドで勉強していたことになっていたり(竹澤恭子と間違えたか?)、漆原啓子・朝子とも欧州在住にされてしまっていたり、という事実誤認。また、コンクールで世に出る演奏家が多いというのは最近の傾向であるということを挙げるのに、ロストロポーヴィッチ・チェロ国際コンクール特別賞の長谷川陽子を挙げるのは、挙げる意味からするとずれているように思う。
・もちろん著者の好みを排除して本を書くことは不可能であるが、千住真理子のように50人に挙げる演奏家とは思えない人がいたり、シゲティに対する揶揄的な表現も(テクニック的にダメなのをありがたがって聴いていたという主旨の表現)あり、理解に苦しむところが多い(シゲティのSP時代の録音も含まれたCDのセットを挙げているが、例えばプロコフィエフの協奏曲第1番のSP録音を本当に聴いたのだろうか)。

著者は平凡社新書で既に指揮者、ピアニストについて同種の本を出しているようだが、「3日でクラシック好きになる本」というのを出していることからして、よく言えばフットワークが軽いのだろうが、ノリ優先とも言える。新書のクラシック音楽の本でしかも入門者がターゲットである本がコーホー先生だったり、丸山真男と近いことが売りなだけのおっさんだったり・・・(以下自粛)。出版業界の人は書き手をもう少し考えて選んでほしいと切に思う。そんなのは言ってもムダだろうけど。

2005年09月30日

『ピアニストが見たピアニスト』

ピアニストが見たピアニスト

白水社のサイトの本の紹介はこれ
あちこちで評判がいいようなので購入して読んでみた。

取り上げられているピアニストは、



負をさらけ出した人―スビャトスラフ・リヒテル
イリュージョニスト―ベネデッティ=ミケランジェリ
ソロの孤独―マルタ・アルゲリッチ
燃えつきたスカルボ―サンソン・フランソワ
本物の音楽を求めて―ピエール・バルビゼ
貴公子と鬼神の間―エリック・ハイドシェック

である。

私は、チェロを(趣味で)やっているのに親が転勤族だったため恥ずかしながらピアノのおけいこをしたことがない人間で、本書にあるテクニックに言及した部分については十分な理解をしていないのだが、それでも十分面白かった。

個人のブログで「家政婦は見た」的暴露本という評があったりするが、それはやや的外れというべきで(著者が同業者で「暴露」というのは志の低さを謗られる危険があり、それでもいいという人意外はできまい)、関係者への取材、活字媒体、音源、映像等資料の研究を徹底して行っているもので、著者の分析に賛同しなかったとしても「なぜ、こう考えたか」という道筋は明快に分かるものである。

他方でピアニストでないとわからないステージの上での心理、テクニックにも言及し、バランスのとれたものとなっている。

取り上げたピアニストについてそれぞれの章のサブタイトルに著者の主張は明確である。最後の2人は直接面識のある人でその前の4人とはとりあげるスタンスが違っているのは当然であるが、面識のあるにもかかわらず愛情はあるがヨイショにはなっていないのが、この本のよいところである。

著者の師であるバルビゼについては恥ずかしながら名前くらいしか知らなかったが、演奏についてディスクをゲットして聴いてみようと思う。あと、ハイドシェックも某評論家とその関係者がやたら持ち上げるので恐れをなして聴いたことがなかったのだが、これも偏見はどこかへおいて聴いてみたいと思う。

2005年06月21日

「200CD交響曲の秘密」

また「200CD」シリーズで「200CD 交響曲の秘密」が出てたので購入。
目次はこれ。

第1章 作曲家はこんなことを考えている1―交響曲は音の建築
第2章 吉松隆インタビュー 交響曲はエモーショナルな情報でいっぱい―作曲家のこだわり
第3章 交響曲をカタチで聴く!―もう最後まで迷わず聴けます
第4章 高関健インタビュー 交響曲のここを聴いてほしい!―指揮者のこだわり
第5章 はじめての交響曲たち―十八世紀のはじけた世界を聴いてみよう
第6章 作曲家はこんなことを考えている2―多彩な響きと新しいカタチ
第7章 交響曲に込められたメッセージを聴く―再び時代に求められたカタチ

高関健ちゃん(←おいおい)インタビューは、前作「ベルリン・フィル」でも評判がよかったから再登板なのか。今回も指揮者として曲をどう捉えているかがよくわかる話で、古典を弾くのは現代曲を弾くためであるという話や、スタイルをよく考えずに弾いてる演奏が多いというのは、そのとおりとバンバン机を叩いた。
あとは例によって玉石混交だが、マニアックなマイナー交響曲についての記載、あと吉松隆インタビューも面白かった(私にとってはこのインタビューのほうが作品よりずっと面白い)。

2005年04月05日

雑誌「考える人」特集「クラシック音楽と本さえあれば」

仕事帰りに寄った書店で立ち読み。(というか、買おうかとも思ったがめくって立ち読みで十分と判断。)(注)結局購入。「追記」参照。

クラシック音楽好きな人かつ読書好きな人が主たるターゲットなのだろうが、誰をターゲットとしているのかよくわからない。

「わたしが音楽を聴く場所」ということで、作家、学者等が出てきてリスニングルームだったり、移動にヘッドフォンで聴くとか(「うるさい日本…」の人)、写真とインタビューで「あっそ」という以上でも以下でもない。高村薫が出てきたのは、『愛の流刑地』の前の日経新聞連載小説だった『新リア王』が新潮社から近日出るからということのようだ。
蓄音機についての島田雅彦の薀蓄も「あっそ」。

各界著名人に愛聴CDを答えさせる「わたしのベスト・クラシックCD」も、想定の範囲内の答えばかり。こういうときにはバッハとかグレン・グールドとか往年の演奏家を答えておけば無難なのだろう。間違っても、「ブルックナーが好きで全部の版、稿を揃えています」とか、「ヴァイオリンハイテクヲタなのでハイフェッツ全集を愛聴してます」なんて人は出てこない。
また音楽家に「わたしの好きな本3冊」を選ばせているが、きかなきゃよかったというべきか。音楽世界を泳ぐ達人の名演奏家が知的世界での泳ぎ方を心得ているとは限らないし、この種のアンケートにわざわざは答える人は妙な気負いがあるのか、妙に難しそうな本を選んでいたり、トンデモ本を選んでいたりが多い。
この2つは企画の問題というよりは、この種のものにありがちな結果ではある。

見るべきものは、このくらいか。
○「武満徹の本棚」
写真を眺めていると興味深い。
○「内田光子ロングインタビュー」
インタビュアーにもうちょっと人を得ることはできなかったかとも思うが、リハーサル風景に写真と併せこの種のものがあまりないので貴重。
なお、内田光子さんはインターネットは時間のムダと考えやらないそうだが、この人はまってしまったらパソヲタ、ネットヲタになってしまいそうな予感もするので、本人の演奏活動のため、また聴き手の幸福のためにもそれでよかった。

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2005年03月27日

『ガット・カフェ―チェロと音楽をめぐる対話』

ガット・カフェ―チェロと音楽をめぐる対話
鈴木 秀美 (著)
東京書籍 ; ISBN: 4487800161 ; (2005/03)

ガット弦界(勝手に造語)の第一人者である著者による書。
普通のエッセイも入っているが、この本のメインは何と言ってもこれまでに寄稿したCDのブックレット、コンサートのプログラムノートなどがベースになっているチェロ曲、ハイドンの交響曲などの論考。
へっぽこ大いに勉強させていただき、自分の不勉強を恥じる次第である。

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2005年01月20日

最近読んだ音楽書など

更新をまめにしようと思ったのに、こないだの土日は風邪だか花粉症だかで体調が最悪。土曜日は所属するアマチュアオーケストラのパート練習、合奏があったので這って出かけたが、日曜は薬を飲んで一日沈没。
朦朧としていたので、「N響アワー」も池辺先生のダジャレしか記憶に残ってません。
(1)(ベルリオーズがピストル持ってパリへ)「無鉄砲だったんです」。
(2)(イタリアにあこがれた・行った作曲家特集だったので)「イタメシ食べたいね。炒めた飯じゃないよ」

最近読んだ音楽書の簡単な感想をば。
林光著『私の戦後音楽史 楽士の席から
平凡社(平凡社ライブラリー)、2004年12月
もとの本は1878年に晶文社から出されたもので、

日本の戦後音楽を代表する作曲家・オペラ実践家である林光の若き日々の自伝。クラシックから出発した林が激動する社会に向き合い、独自の音楽を作曲し始める過程を丁寧に語る。

という謳い文句。
著者の政治的立場については賛否両論あろうし、ここでは触れない。
(ちなみに文中、政治的事項、社会のできごとについて触れている文章で若い読者には注がないとわからないものもあると思うのだが。)
が、なんだかんだいってお坊ちゃまだった著者が作曲の勉強からはじまり、現場の仕事をするようになり、現場で鍛えられていく過程、また戦争末期、戦後すぐの音楽界の様子がいきいきと描写され、手に取るようにわかる本で、そこを読むべき本であろう。
バレエ「白毛女」って、あっちのを輸入したのかと思っていたら、送られた映画をもとに日本で創作したバレエだったとか、毎日コンクールの作曲部門ではオーケストラ曲でピアノ譜の同時提出が求められていたとか、「へえ」的な内容もあり。

村田千尋『シューベルト 作曲家・人と作品』、音楽之友社、2004年3月
前田明雄『フランツ・シューベルト』春秋社、2004年10月
エルンスト・ヒルマー『大作曲家  シューベルト』音楽之友社、2000年3月
正月休みに書いてた所属オケ用プログラムの解説のために読んだ本。曲は交響曲第8番(グレートのほう)。
3冊読んでわかったことは、つまらないオチだが、シューベルトについてはわからないことが多いということ。伝記的事項についてちょっと書くと、こっちの本で書いてることと、あっちの本ではそれはおかしいと書いてあることが多すぎる。また、「グレート」の作曲年代、成立事情も微妙に違っている。
前田本は昔新潮文庫から出ていた「カラー版作曲家の生涯」の伝記部分に、後から書いたエッセイをプラスしたもの。話が融通無碍にあっちこっちに飛んでいく独特の語り口をもったエッセイである前田節(勝手に命名)、お好きな人はたまらないのだろうが、実は自分はちょっと苦手で、「早くいいたいこといってくれ」とも「学者なんだからもうちょっとかっちりした文体で書けないんだろうか」と思ったりもする。僭越にも。
ヒルマーの本は定説とされていたことの見直しなど、最近の研究をよくおり込んでいるようだが、翻訳が読みづらいことこの上ない。恐らく原文には忠実に訳しているのだろうが、日本語として組み立てるときは意味を損わないように注意しつつ組み直さないとしんどい。内容は充実しているだけに残念。
村田本はまんべんなく生涯、作品のジャンルごとの概論があり、作品リスト、年表が見やすいのがいい点だろう。このシリーズ索引もきちんと入っているのもナイス。1冊だけ買うにはこれか。
(って、自分は全部買っているのだが。)

2004年12月20日

「レコード芸術」1月号発売延期

最近は、年1回1月号しか買わなくなってしまった「レコード芸術」だが、店頭に並ぶのが遅いと思っていたら、こんな告知が。

【お詫び】 『レコード芸術』2005年1月号は、製作上のミスにより、誠に勝手ながら発売日を12月27日(月)に延期させていただきます。読者の皆様には大変ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。謹んでお詫び申し上げます。

この間の「女性セブン」が皇室関係の誤植で発売延期というのがあった。そういうことではなく添付CDの製作ミスみたいだが、いずれにせよ前代未聞のこと。
(個人的にはCDじゃまくさいのでない方がいいのだが。)

2004年10月20日

『200CDベルリン・フィル物語』

200CDベルリン・フィル物語』(200CDベルリン・フィル物語編纂委員会、学習研究社、2004)という本を店頭で見て購入。通勤途上で、もうすぐ練習が始まるオケ「お勉強」用音源をiPodで聴きつつ読む。
(そういえば「200CD」シリーズは、立風書房から出ていたのになぜ今回は学研からなのだろうか。)
よくある「ウィーン・フィルvsベルリン・フィル」(どっち派?とか)という命題は、クラシック音楽におけるブランド力のあるオーケストラを並べてみたというだけで、無意味ではあるが、『200CD ウィーン・フィルの響き』という本もあるから、出たのだろう。(なお、無意味な命題に無理やり答えを出すと自分はベルリン派です。)
この本を手にとって戻さずにレジに持っていたのは、カラヤンのアシスタントを勤めた経験のある指揮者・高関健氏のインタビューが面白かったためである。暴露話とか噂話ではなく、カラヤン時代の現場でどう音楽が作られて、どう録画録音されていたかということを、客観的なスタンスのもと豊富なエピソードを元に語っている。
(何気なく斎藤メソッドへの批判もあったり。)
この種のもの宿命であるが、書き手は玉石混交でベルリン・フィルよドイツ魂を取り戻せと煽れば通っぽいと勘違いしている、音楽に対する愛があるのか疑わしい向きもいるような。
とケチもつけつつ、そういや来日公演って本当に完売になったのかと「e-plus」で検索して、川崎公演のチケットを買ってしまったのは内緒だ。

2004年08月25日

「いえよう」のないU野コーホー先生

今日(24日)は電車で寝てしまったので、何も聴いていない。
カルロス・クライバー逝去特集があったので、「レコード芸術」9月号を久しぶりに購入。

久しぶりに買うと、月評を見ると新譜が少なく、あらためてこの業界の不況を感じる。
「交響曲」の月評は何とU野コーホー先生(←伏字の意味なし)が3か月の夏休みをとられて、代理は金子建志先生が努めている。
買った目的の特集のほうは、予想はしていたがこれまで出たカルロス・クライバー音盤を一覧できるくらいしかの意味がないが、現在、名盤ということにされているベートーヴェンの交響曲第7番は、初出のときには「推薦」になっていないのに笑った。演奏の評価なんてそんなもんですね。
いろいろな人がクライバーの演奏について語っている「観た! 聴いた! 感動した!——カルロス・クライバー賛」では、コーホー先生はヴァカンス中なので「(談)」になっており、いつもの「いえよう」文体ではなくごく一般的な「です・ます」体になっている。やはり、コーホー先生に「いえよう」がないのは愚鈍の極みだといえよう。ひとこと付け加えておきたい。
なお、「海外取材 宇野功芳 in フランス」という遠山一行・慶子夫妻との対談付きのファンにとっては宝物のような特別記事があり、鋭くコーホー先生の本質をとらえた写真にはチャーミングな笑顔で写っておられる。

(あ、念のため、書いてあることそのまま真に受けないでくださいね。)

2004年08月17日

「中二階」 ニコルソン・ベイカー

最近タイトルの本の訳者の『気になる部分』という本を読み、そのつながりでこの本を手にとって読んでいる途中。
今日、電車の中で
店に入ると、”二本の指でとことこ歩き”の動作でもって、アルバムを次々と繰っていく。たまに同じアルバムが何枚か続くと、まるで昔の五セント映画の原始的なアニメーションのように、<ドイツ・グラモフォン>の装飾的な黄色のタイトル枠の下で、ピアノに向かったアーティストが気取ったポーズのままじっと静止しているように見えた。ときたま二枚のアルバムの密封包装のあいだに軽い真空状態ができていて、そんなときには、一枚目を繰ると次のも一緒に身を起こし、途中でぱたんと倒れるのだった。
というくだりを読んでいて、「LPの時代を知らない世代が増えると、このくだりはあと何年もすれば意味不明になってしまうのだろうなあ」と思ったのだが、定期的に閲覧している有名サイト「CLASSICA」の"What's New "をみてびっくり(8月17日)。
まったくの偶然だが、まさにこのくだりのことに言及していた。
「<ドイツ・グラモフォン>の装飾的な黄色」という、わかる人にはわかる表現がいい。