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2006年05月14日

NHK交響楽団第1569回定期演奏会(スクロヴァチェフスキ指揮、ブルックナー交響曲第8番)

NHK交響楽団第1569回 定期演奏会
5月13日(土)開演03:00 PM
ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調 (ノヴァーク版/1890年)
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

スクロヴァチェフスキが2007年4月に読売日本交響楽団の常任指揮者になるそうで、年齢も考慮すると、NHK交響楽団の指揮台に立つ機会も多いとは考えられない、ということで曲もブルックナーなので雨の中でかける。
代々木公園では「タイ・フェスティバル」が開催されており、晴れてて楽器持ってなければ、コンサート後でも何か食べて飲んで食材でも買って帰りたいところだが断念。
NHKホールの客の平均年齢が高いのはいつものことだが、今回はブルックナーということで男子トイレに行列ができていた。

今月の「開演前の室内楽」は、チェロ四重奏で、村井 将、銀銅久弥、山内俊輔、桑田 歩というメンバーで、D.フンク「組曲」をやっていた。開演前の司会者の話によると、故・徳永兼一郎氏の遺志で、いつもこの時期の「開演前の室内楽」はチェロ・アンサンブルをやっているそうで、今回が11回目、徳永氏が亡くなって10年とのこと。そういえば、はホスピスで闘病する徳永氏を追ったドキュメンタリー番組で、今回のメンバーである山内氏のレッスン風景の録音が紹介されていたのを思い出す。
チェロ愛好家以外にはなじみのないレパートリー(「ベルリン・フィルの12人のチェリスト」でさんざやった曲)は、この曲に関心ない人にはどう聴こえたのかと思ったが、そばにいた男女は「なんかいいねえ」と言っていた。


で、結構客入りのいい中、本題のブルックナーを聴く。
第1楽章はホルン1番のソロで、この曲を始めて聴く人でも「あれ?」と思うであろうヒヤリとさせられる瞬間があり、またフォルテのところで期待(?)を裏切らずトランペットの汚い音が聴こえて、どうしようと思ったということを記録しておく。
ブルックナーはインテンポでないと認めない、という人には合わないのかもしれないが、自分は波乱万丈、緩急も大きくとった演奏は、1つの行き方としてこれでアリだと思うし、
(初めてこの曲を聴こうという人には勧めないが。)
第4楽章はやはり興奮させる力のある演奏で、また第3楽章のクライマックスの後、第2楽章のトリオといった静かなところも、テンポの緩急、音量の設計などきちんと設計されていて、高齢に伴うコントロール力の衰えなど微塵も感じさせない、いい意味で「若い」演奏だと思う。

なお、NHK交響楽団と前にブルックナーの交響曲をやったときは、第4番で第1楽章のヴィオラのsoliにチェロをかぶせるとか、第4楽章にドラがボヨーンと聴こえるか聴こえないかくらいで鳴ったりという、先行例のない珍プレー(?)があったので、今回も何かないかと期待して行ったが、今回は、
・第1楽章のホルンの101-102小節、345-346小節を第2稿ハース版の音形に戻した、
・第3楽章の第1ヴァイオリンの3soliを1回目、3回目は表(同じ譜面台を見ているペアのうちステージから近いほうの奏者)全員、第2回目はコンサートマスター一人で弾かせたり、
というところが目立ったところか(コンサートマスター1人だけで弾く箇所はハース版の第1稿に由来するところのみ)。
(「あれ?」と思ったところだけで、スコアを見ながら聴いていたわけではないので、聞き落としもあるかもしれないが。)

オーケストラは注文はいろいろなくはないが、ホルン5~8番=ワグナーチューバ部隊は、健闘(というと僭越だが)していたと思う。
弦を見るとチェロ(トップは藤森氏)、コントラバス(トップは吉田氏)の低弦がノリノリで、第2ヴァイオリン(コンサートマスター山口氏がトップ)が、他のパートをよく聴いて弾いているというたたずまいであった。
プロでも第1ヴァイオリン的にはブルックナーは「おいしく」ない、ということなのか。

他に特記事項としては、楽譜に3台と指示されているが、実際には3台そろったのをあまり見たことのないハープが、今回は3台出動していた。NHK交響楽団で自分が聴いただけでも、1984年3月のマタチッチのときは3台だったが、1983年12月のヴァント、1994年5月(?)のワルベルクは2台。同じパートを3台で合わせるのは大変そうである。

2005年12月02日

日本フィル第576回定期演奏会

来年2月に自分で弾くのに、いまだ実演に接したことのないプロコフィエフの交響曲第5番をやるというので、出かけた。

日本フィル第576回定期演奏会
【プロコフィエフ・プログラム】
交響組曲「三つのオレンジへの恋」
ピアノ協奏曲第4番(左手のための)
交響曲第5番
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ:舘野泉(協奏曲)
サントリーホール、19:00開演

「3つのオレンジ」は「行進曲」以外の曲を知っている人は、プロコフィエフ・ヲタ以外はあまりいなそうだが(そういえば11月26日にNHKBS2でやってたが見るのを忘れた)、全体的には曲想も楽しいし、演奏も「ノリ」がよく楽しく聴けた。

ピアノ協奏曲は脳溢血から右半身麻痺となったにもかかわらず、懸命なリハビリにより左手による演奏会を行えるまでに恢復した舘野氏がソロをつとめたが、2楽章の叙情的な部分は聴き応えがあったが、さすがに技巧的な1、4楽章は少々苦しいかった。これはオーケストラのほうも演奏機会が少ない曲で、よくのみこめないまま演奏しているところにも原因がありそうで(音程が苦しいところも)、第1楽章の冒頭はちょっとヒヤヒヤした。
(なお、舘野氏取材のためカメラが入っていた。日フィルのサイトでこの曲を演奏するに当たっての舘野氏へのインタビューが読める(リンク先

交響曲は細かい傷はいくつかあるが、下手したらただの爆演になりかねない曲を、指揮者が(いい意味で)整理して、メリハリがあり、それぞれの性格も違えてあり、それなりには満足。弦楽器が奏者によって弾きこなし度が違っていそうなのがちょっと気になる。

2005年10月15日

ムーティ指揮ウイーン・フィル演奏会

年中行事化したかのような来日公演。
今年はチケットのはけ具合が必ずしもよくなかったようで、ウィーン・フィルLOVEな某有名サイトさんのところでも余剰チケット情報がずっと出ていたようである。
ウィーン・フィルの来日公演は普段クラシックの演奏会に頻繁に行っているとは考えにくい妙に気合の入った格好をした客層が来るのが常であるが(注)、「未完成」「グレート」やモーツァルトは平日で、きょうのような地味なプログラムを土曜日に持ってきたのは集客も考えてのことなのだろう。
曲目は次のとおり。当初はシュトラウス→ヒンデミット→シューベルトとアナウンスされていた。

シューベルト:交響曲第4番 ハ短調 D417 「悲劇的」(休憩) ヒンデミット:組曲「至高の幻想」 R.シュトラウス:交響詩「死と変容」op.24 (アンコール)ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
文句なしに楽しめたのは休憩後。シューベルトは弦の人数を14型に減らしているが、オーケストラは美しいと思いつつ、今の自分にはヴィブラートかけまくりのスラーでつながったシューベルトは若干の胃もたれ感あり。それでも、第3楽章のいい意味での田舎くささはウィーン・フィルならではと思う。 ヒンデミットは実演で聴いたのは初めてであるが、よく整理された演奏で、特に金管楽器の分厚いがうるさくない、押し付けがましくない響きが快かった。そして「死と変容」であるが、おそらく指揮者もオーケストラも一番気合が入っていて(蛸親父キュッヒル、頭が真っ赤でした)、下手すると最初ドンチャン→あと静かで終わってるだけになってしまうの音楽を、静謐の部分まで堪能させてくれる音楽として聴かせてくれた(あえて「精神性」という言葉は使うまい)。 アンコールはムーティが思いっきり飛ばす、飛ばす、オケは付いていけない箇所もあるし、ちょっと某有名サイト氏の表現を使えば「キュッヒル一人旅」入ってたが、満足度としては高い演奏であった。 来年はあのアーノンクールと来てブルックナーもやるらしいので、万難を排して行きたいのだがどうなることやら。

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2005年09月27日

ベルリン・フィル定期演奏会(9/23)

ベルリン・フィルの演奏会にもう1回。

シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲
ラヴェル:シェーラザード
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

マグダレーナ・コジェナ(sop.)
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィル

コンサートマスターはGuy Braunsteinという人なのだろうか(自信なし)。コンサートマスターのサイドにはこの間も今回も安永徹さんが座っている。

この日のプログラムで一番楽しめたのはシェーンベルクで、変奏ごとのキャラクターの違い、同じ音形、旋律の楽器との受け渡しの妙が上手く出ていた。この曲が一番拍手が少なかったが、そんなもんなのだろう。

ラヴェルについては語れるほど曲の知識がなくて、子まで成したコジェナとラトルの競演か、という週刊誌的興味が勝ったまま聴いており、3曲終わった後の表情がなんとなくエロかった。あと、コジェナの歌うときにおでこに横じわでけでなく、時おり縦じわもでき、ワッフル状態だとつまらないことを考えてしまったりとか。ちなみに「死者の歌」のときマッティラは直立のまま歌っていたが、コジェナはオペラのように手振りをつけながら歌っていた。

不思議なプログラムの最後は、「英雄の生涯」であるが、日本のクラヲタの多くはこの曲といえばカラヤン&ベルリン・フィル、と刷り込まれているのだろうが、ラトルもカラヤンの存在を意識しないわけにはいかないだろう。
「英雄の生涯」は来る来日公演にも曲目になっていて、それにあわせるようレコーディングもされる。(前半2曲を実演で聴くのは初めてといっても不思議はないが、後半の曲は弾いたことがあるのにプロの演奏家による演奏で聴くのが初めてだったりする自分がちょっと情けない。)

自分的にはラトルがこの曲を取り上げるのに違和感があるのだが、EMIのサイトには、

「英雄の生涯」は管弦楽に新たな息吹を吹き込んだ壮大な作品で、R・シュトラウス流の皮肉に満ちた楽曲です。自分を“英雄”と呼ぶ作曲家には、皮肉屋が多いものです。私にとって意外だったのは、作曲家と批評家の間のくだらない論争の中で見せた当時まだ30代だった彼の自分に対する考え方です。彼は自分の晩年を想像し、自身に対する疑念や死への恐れ、老後の安らぎのことまで考えていました。これは私を驚かせ、心を動かすに十分だったのです。

というラトルのことばが載っており、こういうことを意図しているらしい。だが、大きい音でベルリン・フィルの妙技が聴けて満足というお客も少なくないだろう。

演奏自体は細かいことを言うと、アンサンブルがずれたかという箇所もあったり、コンサートマスターがソロを弾くのに足でリズム取ったりしてて、苦笑してしまったところもあったが、「英雄の引退と完成」のところはさすがだと思わせる演奏であった。

さて、次にここで聴く機会はあるのか。あと、もう1日いれれば、シュターツ・オパーではギーレン(!)指揮で、「運命の力」というものも見たれたのだが。9月のこんな時期にヨーロッパ行きは、定年までないような予感。
あああああ。

2005年09月19日

ベルリン・フィル定期演奏会(9/18)

9月18日20時
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィル
サラ・チャン(vn)、カリタ・マッティラ(sop)、トマス・クヴァストフ(bas-bariton)

bpo1.jpg

前回来たのは20年近く前。個人情報丸さらしになってしまうが、某大学のオーケストラでの演奏旅行でやってきてカラヤン先生の演奏を聴いて以来である。
当日はドイツの総選挙の日でもあり、ロビーには選挙番組を放映するテレビが置かれ、人だかりができていた。
bpo2.JPG(携帯の電源を切ってね、というメッセージがある。)

協奏曲のほうはサラ・チャンの勢いに圧倒されつつ、オーケストラの名人芸も楽しむ。サラ・チャンは凄いとは思うが、感動したことはなかったが、初めて生で聴いて、こういうのもアリだ、ということで納得。第3楽章冒頭とか、ちょっとチャイコフスキーの協奏曲第2楽章入ってると思ったが。
若手女性ヴァイオリニストでこの曲を演奏・録音する人が多いが、確かに自分のパートを演奏するだけでなく、オーケストラとの細かい掛け合いに集中力を要するので、やりどきというのもあるのだなと思う。(技巧、集中力がピークを過ぎたヴァイオリニストではやりにくかろう。)
休憩時間、ロビーでサイン会が行われ、ちゃっかりもらうこととした。

交響曲は小編成(弦は高いほうから6-5-4-3-2人)。休憩時間中にコンサートマスターのスタブラヴァ、チェロのファウストが一生懸命ソロをさらっていたが、これまた技術的にも難しい曲である。(だから実演に接する機会がないのか。)
ラトルのショスタコーヴィチは以前バーミンガム市響と来日したとき15番を聴いたことがあるが、こういう曲は聴かせるのが文句なしにうまい。(5番の交響曲を演奏したことがあるのかどうか知らないが、取り上げる姿が考えにくい。)
ただ聴き手に緊張を強いる曲でもあり、途中で帰っていく客もいたし、近くにいた日本の企業(?)でエラい人がやってきてチケットを手配しましたグループのおじさんたちも退屈そうであった。
プログラムを眺めたところドイツ語なのでもちろんわからないが、この曲についても生徒たち(?)と学習するプロジェクトをやっているようだ。

なお、CD録音用と思われるマイクがたくさん配置されていたので、いずれ発売されるのだろうか。

2005年06月29日

アンサンブル・モデルン@「東京の夏」

シュトックハウゼン祭りに行けなかったくやしさを紛らわそうと思っていたところ、そうだアンサンブル・モデルンのコンサートがあったと、職場からダッシュした何とか間に合った(どうにか帰れる日であった幸運)。

「日・EU市民交流年」「日本におけるドイツ年2005/2006」参加公演
<20世紀の古典から委嘱新作まで>
アンサンブル・モデルン、指揮フランク・オルー
2005年6月28日 東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル

ドビュッシー/ザックス編曲:牧神の午後への前奏曲
鳥養 潮:≪Venus is the Plane≫(<東京の夏>音楽祭2005 委嘱新作初演)
イェルク・ヴィトマン:《フライエ・シュトゥッケ》(2002)(日本初演)
シュトックハウゼン:アデュー
シェーンベルク:室内交響曲 第1番 Op.9

シェーンベルク以外は、もちろん初めて聴く曲ばかり(ちなみにシェーンベルクは確か3回目)。
初演の曲もあるので演奏の質について言うのは難しいが、相変わらずの技術の高さ(特にホルンのお姉さん万歳)、ノリのよさで楽しめる演奏会であった。
「牧神」はヴァイオリン2、コントラバス、フルート、オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット、ピアノ、ハルモニウム、打楽器という編成であるが、元の曲よりさらに透明感の増した響き、夏向き仕様となる。
鳥養潮という作曲家は北米で活躍している人で、当日も来場していたが、風貌も作品も欧米で長く暮らしている「日本風」を出した人という感じ。
ヴィトマンは1971年生まれのドイツの作曲家兼クラリネット奏者。作曲家自身が演奏家ということも影響しているのか、アンサンブル・モデルンの名人技が引き立つ作品(奏者がフラストレーションを起こすような、休みばかりの作品ではない。

休憩時間に「東京の夏」音楽祭20周年(!)記念の映像記録のDVDが売られている中から「ベトナム古都フエの雅楽」を購入。
こういうの見つけたら即買わないと、入手困難になりそう。

2005年06月16日

東京シティフィル第190回定期演奏会 「ラテン・アメリカ音楽への誘い」(6月15日)

東京シティフィル第190回定期演奏会 「ラテン・アメリカ音楽への誘い」

レスピーギ:ブラジルの印象
コープランド:クラリネット協奏曲
ヒナステラ:バレエ組曲「エスタンシア」 作品8a
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第8番
指揮:矢崎彦太郎  クラリネット:赤坂達三

また中断してました。自分の意志薄弱さに嫌気がさす毎日。
過去は振り返らず再開してみる。

このコンサートは、先日オーケストラの練習で行った江東区の施設にチラシがあって知ったもの。仕事も間に合いそうだったのでレッツゴー。
コープランド以外は実演に接するのは初めてである。ブルヲタでもこういう曲目は好きだったりもする。

いちばん印象に残ったのは「エスタンシア」。曲の長さがダレない程度でもあるのも影響しているのだろうが、爆発するエネルギーというのはないが、打楽器の大活躍とともに曲の楽しさが素直に出ているまとまった演奏。
コープランドは、甘いマスクのクラリネット奏者・赤坂達三氏の演奏は初めて聴いたが、クラリネット協奏曲の種類がさほど多くないからレパートリーにしているのだろうが、ポップスも手がける演奏家にしては意外に端正というかジャズ的、民族音楽的要素が強くない演奏で、それを期待すると少々物足りない演奏であった。上手いのは間違いないのだが。
「ブラジルの印象」は、一般的レパートリーにならないのもむべなるかなという曲である。部分的にはっとするところもあるのだが、長続きしないというか。別のオーケストラで聴いたら印象が違うのかもしれないが。
「ブラジル風バッハ」第8番は2曲めの弦楽器のメロディが美しいが、下手をするとムード音楽的になりそうで(弦のユニゾンもあったりする)、(おそらく)短時間の練習で聴かせるようにするのは難しい曲であると思った。プログラムも「エスタンシア」を最後にすると盛り上がって終わったのではないか。

シティフィルの演奏を聴いたのは久しぶりであるが、財政等環境がよくないなか団員も少なく、コープランド以外の曲では演奏するのに人数がやや少ないと思う(弦は14-12-10-8-7)アマチュアではないので18型の必要はないだろうが、このオーケストラの最大の売り物で集客力もある飯守泰次郎指揮ワーグナーなどドイツロマン派ものをやるときはどうしているのだろうか。シティフィルのサイトを見ると、団員、事務局員の異動も激しいようで気になった。

2005年02月26日

相模大野でブロムシュテットとゲヴァントハウスを聴く

ということで予定どおりこの組み合わせの演奏会を聴きにグリーンホール相模大野に聴きに行った。
曲目はこれ
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
ブルックナー:交響曲第7番(ハース版)
で、どちらもこのオーケストラが初演した曲だ。

相模大野にそんなに遠くないところに住んでるのだが、行くのは今回が初めて。この演奏会はホールオープン15周年の行事も兼ねているようだが、箱としては15年しか経っていないのにぱっとしない。昔の「市民会館」というイメージ。開演直前と後半開演前にバイトの係員の皆さんがブロックを回って、携帯の電源を切れ、時計など音の出るものも出ないようにしとけ、と注意に回っていたのは初めて見た。
また、17時開演という演奏会も初めて。演奏会前に隣接する伊勢丹に寄ったが、地下の食料品売り場には楽員さんが何人か食料仕入れ中でした。

ステージに出てきたブロムシュテットは元気元気。最愛の夫人を亡くして大丈夫かと思っていたが、この人にとっては音楽に仕えることが生きる喜び、また神に仕えることなのだろう。もうすぐ80歳になろうというのに、よくある加齢に起因するテンポが遅くなる現象も皆無。ステージに出てくる時には髪を横分けしているのだが、指揮をしはじめるとすぐ崩れていつも見なれたあの髪型に戻る。(拍手に応えてステージに登場するときには、また横分けして出てきてるのがお茶目。)
前半の「イタリア」は弦の人数を減らした編成(ファーストヴァイオリンより12ー10ー8ー6ー4の「12型」)。最初第1楽章が始まってホールが響かないので「あれっ」と思ったが、オーケストラの方もホールに慣れてきたのか尻上がりに調子がよくなってきて、第4楽章は快速テンポも相俟って大迫力。終わるや否や怪声で「ブラボー」と叫んだアフォがいたが、興奮を誘う演奏であったのは確かだ。
後半のブルックナーは弦は16型編成。特記事項としては(コントラバス)チューバが2楽章のみホルン、ワグナーチューバの方に席を移動していたこと(合奏しやすいようにか)、またハース版だが第2楽章のクライマックスはティンパニを追加(ノーヴァク版と同じ)、など。
演奏の方は、なんと書いたらいいのか、皮肉でも何でもなく、いい意味で丁寧なまじめな演奏をありがたく聴かさせていただいた、とでも言えばいいのか。この曲の第2楽章など「祈り」の気分を強調しようとして、ただ単にダラダラしたテンポで、また時として妙な粘りとともに演奏されることがしばしばあるが、この演奏はそういうものとは無縁。冒頭のホルンとチェロのユニゾンから音楽は自然に前へ進み、第2楽章のクライマックスもわざとらしくなく自然に盛り上がって大音響となる。前半に比べて音楽的にあまりおもしろくない第3、第4楽章も飽きることなく聴けた。
で、みんな演奏に圧倒されたかブロムシュテットの指揮棒が降りて拍手が起こるまでしばらく間があり、「ブラボー」隊も出なかったことはめでたい。

生でこのオーケストラを聴いたのは初めてだが(前回の来日は日程が合わず行けず)、必ずしも流麗な音色ではないがちょっとくすんだ感じの音色がいい。マズア時代は「いぶし銀の響き」と呼ばれていたのを思い出したが、機能的にはいまいちだったわけで、カペルマイスター・ブロムシュテットにより機能性が向上したことは喜ばしい。
といってもカペルマイスターがシャイーに変わってしまうので(シャイーも好きな指揮者だが)、このコンビでの来日はもう望めそうにないのが残念。

2005年01月31日

「マルタ・アルゲリッチ 室内楽の夕べ」(1月30日)

マルタ姐は風邪のため今回の来日の前半のスケジュールをキャンセル、そのかわりということで急遽決まった演奏会。共演者もカプソン兄弟から日本の演奏家に交代。マルタ姐に食われたかもしれない被害者との会から、おばさん(失礼)の会になった。
衝動的に画面でポチッとしてしまい、サントリーホール(大)へ出かける。
曲目などは次のとおり。
ハイドン:ピアノ三重奏曲第25(39)番ト長調Hob.XV-25
シューマン:ピアノ四重奏曲変ホ長調op.47
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.49
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
ヴァイオリン:堀米ゆず子
ヴィオラ:リダ・チェン
チェロ:山崎伸子
ちなみに、リダ・チェンはマルタ姐の長女でプログラムのプロフィールによると、ジュネーブ音楽院を出て演奏活動は特にしてないらしいが、ママンの室内楽演奏会でヴィオラを弾いたりしてるとのこと。

最初のハイドンは軽快な曲想を上手く活かした演奏。さすがに室内楽経験豊富な奏者による演奏と感心。
シューマンはあまり言いたくないが、マルタ長女は他の奏者と競演するレベルにそもそも達していないのが残念。音量がなく、また強い個性を感じさせるものではないので、第2ヴァイオリンがない編成もあり内声部が薄く、また時々あるソロもはっきり言ってきこえない。他の3人が熱演だっただけに残念。妙な意味でマルタ姐も人の子だったと感じさせられたのであった。
音楽には全く関係ないが、リダ・チェンは長身で堀米、山崎両氏が小柄なのと対照的。マルタ姐の第一回の結婚は音楽には関係ない中国人とらしいが、その中国人が長身だったのだろうか。長女だからいい年してるのだろうが、表情が子供っぽく(あどけないではなく)、またステージではよく言えば和やかかもしれないが、不安そうにママンの顔を見たりして、ステージ衣装も日本の中学生の制服みたいな木綿の白いブラウスにデザインに凝った黒いロングスカートとちぐはくで、ママンがいなくなったあとこの人大丈夫だろうかと心配にもなった。

後半のメンデルスゾーンは特に山崎伸子のチェロ、特に歌い込み方が聴きものだった。堀米ゆず子はマルタ姐と競演の機会もあるが、山崎伸子はおそらく始めてだろう。ぐいぐい引っ張るマルタ姐に負けず劣らず、自分らしさを出しておりそれがまた対話になっているのがよかった。「おばさん」と上で書いたのはもちろん敬意を込めて、若手のルックス優先の日本女子演奏家の皆さん、もっとがんばってください。

アンコールはリダも出てきて、ベートーヴェンのピアノ四重奏曲より第1、第3楽章。
脳天から出るような声で「ブラボー」と叫んでいる女性の声がコワかったです。

2004年11月07日

ラトル指揮ベルリン・フィル来日公演(川崎)

別項で書いたように、ベルリン・フィルの来日公演のチケットを大枚はたいて買ってしまい、ミューザ川崎までいって来た。実は、自分のベルリン・フィルナマ体験は、1986年2月にフィルハーモニーで聴いたのみ(カラヤン指揮)で、国内では券がとれなかったり、スケジュールが合わなかったりで、これが初めてでもある。
ミューザ川崎シンフォニーホールは始めて行くホール。ホールはステージを客席が取り囲む、ベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニーと同じワインヤード形式。自分には1回聴いただけでホールの響きの質を判断する能力はないが、開演近いのに入り口でこれから入場という人がまだ多数いたりするのは、運営の手順で改善すべき点があるということだろうし、休憩時間に、飲み物を飲む人とトイレの行列が交錯して人溜まりができているのは、設計の問題か運営の問題なのか。
musakawasaki.jpg

で、本日のプログラムは次のとおり。

ハイドン:交響曲第86番
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
ブラームス:交響曲第4番

オーケストラはハイドンが対抗配置で弦のプルトも第1ヴァイオリンより順に4-4-3-2.5-1.5と小さくし、ワグナーからはチェロが内側の普通の配置で、人数も16型。(もしかして、途中で編成が大きく変わったのが後の椿事につながった?)
ハイドンは、ウィーン・フィルとのベートーヴェンよりも、オーセンティックなアプローチ+本人のやりたいことを徹底させ、随所に即興的アプローチもおり込み、またそれにちゃんと応えるオーケストラと文句なしに楽しかった。ファゴットの妙技バンザイ。(前記のカラヤンの時にもハイドン(第104番)を聴いたが、滑らかというかヌルヌルというか、どうもなじめなかった。)
ここから後のオーケストラは、舞台の上の人数も大幅に違うし、曲目も違うので別のオーケストラのよう。ティンパニ(セーガースが担当)はバチだけでなく楽器も変わっていた。もうちょっと軽い音作りを予想していたのに反し、ワーグナーは最初のチェロの弱音から始まってどんどん分厚い音の層になっていく。前奏曲の昂揚する場面では、フルトヴェングラーも想起されるような揺らし方であった。
後半、メンバーがステージに揃って後はラトルの登場を待つばかりとなったのに、ホルンの首席ドールが慌ててステージを出て行った。ホルン1番だけパート譜が譜面台の上に載ってないようで、本人は探しに行き他のメンバーも自分のところに混入してないか点検しているが、出てこない。前日、金沢で同じプログラムをやったはずだが、金沢に置いて来てしまったのだろうか、ライブラリアンは後でドールにしばかれるのだろうかと10分くらい心配しているうちにドールが譜面にキスをしながら出てきた。
演奏のほうは、ブラームスの第2交響曲はコーダで加速して盛り上がらないとヤダヤダという層には受けがよくないようだが、自分としてはゆっくりめのテンポで重厚な響きを堪能できた。ただ、ラトルが目指しているブラームスがこれなのか、それとも試行錯誤中なのかは分からなかったが。もしかして、後期ロマン派は古弁センセイのようにしたいのだろうか。
とりあえず、オーケストラの響きは堪能できてパチパチパチ。