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2006年06月03日

「シェル変」ならず-シェルヒェン指揮のマーラー交響曲第7番の2種

シェルヘンがなぜ1950年から数年間に集中的にマーラーを指揮したかはわからないが、ウィーン交響楽団で1950年6月19日に第9番、そして6月22日に第7番を振っている。
(ナチス政権下禁じられた音楽だったからか。)

交響曲第9番は、荒れ狂うテンポ、指揮棒についていけず崩壊寸前のオーケストラが聴きモノの、初めて当該曲を聴く人には絶対勧められないが、独自の魅力(?)を持っていて実は自分にとって「忘れえぬ1枚」だったりする。
そのワクワクを求めシェルヒェンのCDを2種ライブ録音とスタジオ録音をゲット…したんだが、2種聴いて意外に「普通」の演奏だったのにしょんぼり。シェルヘンなら「シェル変」演奏してくれると期待していたのに。
あわせてクーベリック&バイエルン放送交響楽団のスタジオ録音を聴いてみたが、こちらのほうがずっとライブ的演奏で、快速ですっとばしていく。

なお、この話をするとリアル知り合いから「○○さんにしては意外だ」と言われてしまうのだが、マーラーの交響曲第7番は第8番と同様、自分にとっては捕らえどころのない音楽で、CDもこれまで1枚しか持ってなかったので(注)、曲の面白さ、聴き所についてはまったく無知の状態。「なんかワクワクする珍演、奇演」ないかと探し中で、探しものベクトルもそっちを向いているていたらくである。

(注)あわせて演奏するバッハ=シェーンベルクのほうが持っている演奏の種類が多かった。

○マーラー:交響曲第7番

(1)ヘルマン・シェルヒェン指揮、ウィーン交響楽団
1950年6月19日、ムジークフェラインザール、ライブ(Orfeo)

(2)ヘルマン・シェルヒェン指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団
1953年7月、 ウィーン、コンツェルトハウス、モーツァルトザール(スタジオ録音)(Westminster)

(3)ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団(DG)
1970年、ヘラクレスザール

2006年05月28日

2人の巨匠のベートーヴェン

未開封CDの箱から取り出して聴いたもの。


○20世紀の偉大な指揮者たち~フルトヴェングラー(EMI)

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[CD1]
・ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
  ウィーン・フィル(1953年9月4日、ヘルクレスザール、ミュンヘン)
・ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」第1、2楽章
[CD2]
・ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」第3、4楽章
  E.ベルガー、G.ピッツィンガー、W.ルートヴィヒ、R.ヴァッケ
  ベルリン・フィル&合唱団(1937年5月1日、クイーンズ・ホール、ロンドン)
・ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
  ベルリン・フィル(1944年2月7日、国立歌劇場、ベルリン)

「合唱」は戦前の録音で、クイーンズホールでの英王ジョージ6世戴冠記念コンサートのライブ録音で20年くらい前にEMIから初めて出て話題になったもの。ただし、2枚に入れるため、第2楽章のスケルツォの1回目の部分の繰り返しをカットしている。を「英雄」「運命」もこの録音は持っていなかったので、バーゲンに出てたので購入。ただし、「運命」は録音データに疑問があるようで、1943年6月の(旧)フィルハーモニーでの録音(各社から発売されている)ものと同一らしい。
これでこの指揮者による「エロイカ」6種類、「運命」7種類、「合唱」6種類くらい持っていることになるわけだが、今の自分はどっちかというとフルトヴェングラーのベートーヴェンには手が伸びなくなっている。これが、ブラームス、R.シュトラウスだと違和感は覚えないのだが、ベートーヴェン、ブルックナーは聴いて「?」と思うことがしばしば。
昔の青年が社会主義に一度ははまったように、クラヲタも一度はフルトヴェングラーにはまる時期を経るということか。

このセットの中で一番違和感なく聴けたのは「エロイカ」で、録音の状態がいいテープが発掘されたこともあって、また聴衆の入った演奏会の録音なのに雑音が少なく聴きやすい。演奏の傷はあるものの、1944年の通称「ウラニアのエロイカ」を思わせる熱演。特に第1楽章のコーダ。
「合唱」は前に出ていたものより、録音状態はよいがそれでも音楽の流れをたどるのにやっとというくらい。当時としては合唱付の大編成の曲をライブで録音するには、努力してもこれがやっとだったのだろう。こんなことを書いたら熱烈フルトヴェングラー・ファンのお叱りを受けそうだが、ベートーヴェンの交響曲第9番はフルトヴェングラーで聴くと今違和感を覚えるものの1つである。第3楽章のアンダンテの部分はとてもAndante moderatoとは言えない超スローテンポで、第4楽章はテンポが自由に伸縮する演奏スタイルにより下手をすると取りとめがなく曲想が変わっていく音楽になりかねない構成なのが、さらにデフォルメされた冗談のような音楽に聴こえてしまう。(ついでに「バイロイトの第9」は演奏に傷が多く、初心者も想定した「名曲名盤○○選」のような企画で、まっさきににこれを推薦する習慣も、もうそろそろやめてはどうか。第9交響曲に親しんでから、20世紀の演奏史の旅としてとして聴くべき演奏だと思う。)

「運命」はライブ録音であるが、聴衆なしの放送用録音なので聴きやすい。第3楽章から第4楽章への推移、第4楽章のコーダは、この指揮者ならではの名人芸であるが、第2楽章はAndante con motoとは少々遠い世界であるのが残念。


で、比較のため未開封のこちらも聴いてみる。

○モントゥー・ベートーヴェン交響曲全集(DECCA)
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・交響曲第1~第9番
・「フィデリオ」序曲 作品72b
・「エグモント」作品84-序曲
・「シュテファン王」作品117-序曲
ピエール・モントゥー指揮、ウィーンpo.(交響曲第1,3,6,8番)、ロンドンso.(左記以外)
エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)、レジーナ・レズニック(アルト)、ジョン・ヴィッカース(テノール)、デイヴィッド・ウォード(バス)、ロンドン・バッハ合唱団(交響曲第9番)
[特典盤]
交響曲第9番リハーサル風景
ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)リハーサル風景

ピエール・モントゥー(1875~1964)の生誕130年記念ということで、2005年に発売されたもの。第9番はWestminsterから出ていたもの。
既にいくつか持っていた音源もあったが、セットなので買ったはず。
こちらをあらためて全部聴きとおすと、曲によっては演奏者の名前を伏せて聴かせれば、いわゆる「ピリオド・アプローチ系」の指揮者、団体を挙げてしまいそうな演奏で、とても1958年~1962年に録音されたものとは思えない、ロマン趣味、ベートーヴェンを「楽聖」とまつりあげるようなものとは遠く軽快な演奏で、よくある第2主題でテンポを緩める、というのもなし。また慣習的オーケストレーションの変更もほとんどみられず、楽譜どおりだと音の欠落に聴こえるようなところもそのまま楽譜どおりに演奏されている。
特に「エロイカ」が、先日NHKBS-hiでやっていた歴史ドラマ「“英雄”~ベートーベンの革命」を録画しておいたのを見たばかりだったので、なおさらウィーン・フィルが古楽オーケストラのように聴こえ、ベートーヴェンの時代におけるこの音楽の革新性がよく浮かび上がってくる。


今の自分の好みはこっちであることは明らかであるが、モントゥーはフルトヴェングラーより約10年早く生まれているのだが、演奏スタイルの違いに驚くとともに、なぜこの違いはと、考えてみる。

2006年05月10日

レーグナーのブルックナーなど入ったボックス(Berlin Classics *cl* )

ブルックナーの交響曲4~9番、ミサ曲第2、3番、マーラーの交響曲第3番、ワグナーの交響曲ハ長調が入ったボックス。
レーグナーのブルックナーをまとめて聴くのは初めて。国内盤の「ドイツ・シャルプラッテン」のレーベルで出ていた記憶があるが、なぜ手を伸ばしていないかはわからない。ケーゲルのように熱烈ファンがいる指揮者ではないからあまり目に留まらなかったのか、それともコーホー先生が絶賛するから忌避したのかもしれない。
これだけ入っていると結構聴くの時間がかかり、連休の休みをまたいでしまった。

第一の特徴は、多くがびっくりするような速いテンポで演奏されていることで、ブルックナーの交響曲第6、9番はもちろんとして、第4番、第7番も60分を切っている。演奏時間が短いだけでなく、普通、休止符で残響をいつくしむようなところも多くがさっさと「さ、次いこ」と次の楽節に移っている。遅いテンポのブルックナー愛好家には耐え難いという人も少なくないのではないか。かと思うと突然、大見得を切るようなところもあったりして、油断できない。
誰にでも勧められる演奏ではないが、こんなブルックナーもあり、ということで持っておきたい。個人的には第6番(特に第2楽章)、第9番が楽しめた。テンポの遅い楽章のほうが、「セカセカ感」が前面に出ないのだろう。

マーラーの方はバーンスタインのむせ返るようなものと対極にある、これまたサラサラスタイルであるが、交響曲第3番だとさほど違和感を覚えないし、第6楽章で飽きてしまうこともない。ワーグナーは「ジークフリート牧歌」は名曲、演奏もそれにふさわしいが、初めて聴いた交響曲ハ長調はオーケストラの標準的レパートリーとして定着していないのがうなづけてしまう曲。シューベルトとメンデルスゾーンを混ぜて薄めたような出来で、策士の指揮者をもってしても聴きとおすのはつらかった。

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2006年04月18日

ドラティ&LSOのチャイコフスキー交響曲全集(Mercury)

「アンタル・ドラティ」(正確にはドラティ・アンタ(ー)ルらしい)で検索したら、この4月9日に生誕100年であった(1988年没)。
それで、DECCAから「A Celebration Antal Dorati」という6枚組CDが出ていたのか。(ちなみのこれを購入してから知ったが、ドラティの現役盤今はあまり多くないようだ。)
これは、ドラティ生誕100年とは関係なく、セットものを安売りしているワゴンにあったもので、しかも購入動機がアレンスキー「チャイコフスキーの主題による変奏曲」が含まれていることである。この曲は、Intanational Music Companyから出ているチェロ用“ORCHESTRAL EXCERPTS”Volume I (ROSE-STUTCH) の冒頭にあるのだが、このシリーズで唯一、音も聴いたこともなく、名前も知らない曲で、長年の謎だった。
あと、チャイコフスキーの交響曲第1~3番のCDを1枚も持ってないorzのも動機。どう考えても、1~3番を自分で弾くことはないが。

ドラティの演奏は、テンポ感、リズム感のノリがよく、またチャイコフスキーの演奏にありがちな妙な感傷、粘り、崩れたテンポに走ることもなく、「運命のテーマ」がどうのこうのとか文学青年のたわごと・雑音を排して、曲を曲として楽しめる。特に1~3番の交響曲は、民謡風リズムノリノリのところが楽しい。
(「俊敏様式」なる言葉大好きのライターさん、昔の演奏家もこういう人いたんだよ。)
ただ、交響曲第5番だけ、特に第4楽章がどうしちゃったの?というくらい妙なテンポの揺れがあるのが謎。
また、問題のアレンスキーの曲は、オーケストラスタディの本に取り上げられるような技術的難所があることは、わかった。
なお、言わずもがなだがMercury の名録音がすばらしい。

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2006年03月25日

東ドイツ時代などのテンシュテットのベートーヴェン(WEITBLICK)

東ドイツ時代のテンシュテットは不遇だったようで、レコード録音もごくわずかしかないという話であったが、その数少ない録音と、1971年西側へ亡命して最初のポストを得た(1972年)キール歌劇場管弦楽団との演奏、ということで興味を惹かれ購入。

ベートーヴェン:交響曲第1番(*)、交響曲第5番、「エグモント」序曲
クラウステンシュテット指揮シュターツカペレ・メクレンブルク(*)、キール・フィルハーモニー
録音:1968年4月19日(*、スタジオ)、1980年3月20日(ライブ)

交響曲第1番はシュヴェーリン (メクレンブルク・フォアポメルン州の州都)にあるシュターツカペレ・メクレンブルク との演奏で、テンシュテットは1962~69年にわたって音楽監督を務めていた。スタジオ録音なのか意外にも(?)にも落ち着いたアンサンブルの崩壊もないもので、ライブを「草書」にたとえると「楷書」の演奏。荒れ狂うテンシュテットを期待すると肩透かしを食うこととなるが、もちろん若いベートーヴェンの音楽にある高揚は十分に表現されているもの。

キールでの演奏はは世界各地で名声を得たテンシュテットが西側での再スタートの地にやってきたもので、それもあってか交響曲第5番、「エグモント」序曲は、コーホー先生語だと「アシュラのごとき迫力」とでも言うべきものである。キール・フィルは上手とは言えず、人数も少ないようで(テンシュテットの演奏スタイルであれば、ベートーヴェンであってもフルサイズの16型、14型のオーケストラがふさわしいだろう)、オーケストラの練習に入って聴いているような妙なナマな音がしてくる。金管楽器は強奏しまくりで、随所でアンサンブルが崩壊している(交響曲の第4楽章、序曲のコーダの加速はすさまじいが、これは指揮者が加速しているのか、いっちゃったオーケストラが走っているのかわからない状態だ)。しかし、これもコーホー語をつかうとテンシュテットは「こうでなくては」で、決して初めてこの曲を聴く人には勧められないが、麻薬のような魅力を持った演奏である。

2006年03月22日

シェルヒェンのハイドン交響曲集(DG)

「ロンドン・セット」(第93番~104番)の初録音となったものだそうで、これに第44番「悲しみ」、第45番「告別」、第49番「受難」、第55番「校長先生」、第80番、第88番「V字」、第92番「オックスフォード」を加えた豪華6枚セット。

演奏時間等詳細ははこちらで。
ちなみにKenichi Yamagishi's Web Siteの音楽のページ→「交響曲」→「ハイドンの交響曲」→「モノラル録音」といくとhttp://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/sym/haydn-m.htm(リンクポリシーがわからないのと、フレームになっているのでurlの記載のみにしている)を見ると、CDの表記やらHMVのサイトの表記のオーケストラ名に誤りがあるらしく、正しくは
ウィーン交響楽団…55、80、88、93、95、97、100、102、103、104
ウィーン国立歌劇場管弦楽団…44、49、45、92、94、96、98、99、101、
で、1951~1958年の録音で、ステレオ録音は第45番のみ(Westminsterから出ているものと同一録音)。

2003年に発売されていたものであるが、なぜもっと早く聴かなかったかと激しく公開。
戦後間もない時代の演奏とは思えないほどモダンで、いわゆるピリオド・アプローチ派の演奏に近いスタイルで、オーケストラのコントロールもきちんとなされ、他方でリズムも生き生きとしており、あまりにも陳腐な表現であるがハイドンが「交響曲の父」であることを堪能させてくれる(赤面)。
なお、第45番「告別」の演奏で第4楽章で最後に奏者"Auf wiedersehen!"と言って去っていくのは有名な話であるが、第102番「時計」第2楽章でも笑い声のような声が聞こえる(シェルヒェンの声なのか?)。

シェルヒェンが後年のルガノ放送オーケストラとのベートーヴェン交響曲全集で、「爆演系」としてのみ記憶されませんように(あれはあれで楽しいのだが)。

2006年03月11日

最近電車の中で聴いたCD(3/3~10)

メモとして列挙。単なる偶然だが、曲目、作曲家が微妙に重なっている。

○ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
サラ・チャン(vn)、サイモン・ラトル指揮ベルリンpo.(EMI)
ショスタコーヴィッチの方は昨年9月にベルリンで実演を聴いたのと感想は基本的に変わらない。サラ・チャンは自分としてはあまり好きなタイプではないけど、両曲とも今乗りに乗っていることが感じられる説得力のある演奏。

○ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
クリスティアン・ツィマーマン(pf)、サイモン・ラトル指揮ベルリンpo.(DG)
ツィマーマンが同じ曲をバーンスタインと録音したのがもっさり感のある遅いテンポで、最近のショパンの協奏曲もびっくりスローテンポでどんなことになってるのかと思ったが、思ったよりは普通(?)のテンポで安心。ただ、立派な演奏だけど、自分の期待が大きすぎたのかこれという特徴が感じられないのも事実。ラトルは、古典派、20世紀音楽だとオンリーワンの演奏をしてくれるのに、今のところ19世紀後期ロマン派の演奏だと彼ならではのものを感じさせてくれない。

○ベートーヴェン:交響曲第7番、ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン協奏曲第2番
ヴィクトル・トレチャコフ(vn)、ヘルベルト・ケーゲル指揮シュターツカペレ・ドレスデン(Weitblick)
「トレチャコフ」を変換したら、「取れちゃ国府」になった。いずれも1969年の録音で、ベートーヴェンはルカ教会でのスタジオ録音、協奏曲はKultur Palast(あの建物を「文化宮殿」という訳語はちょっと抵抗あり)でのライブでモノラル。どういう事情か知らないが、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏は珍しいはず。
ベートーヴェンはやけに残響が多い録音。一部評論家、ライターのせいか、「猟奇的」「狂気」という言葉が付き物の指揮者であるが(某大手輸入レコードショップのサイトを見ると、某評論家の相変わらず思い込みが横溢する文章を見ることができる)、よくコントロールされ、たくましく、また第4楽章などは興奮するような激しい演奏であるが、これを猟奇的とか言う感性は自分にはない。ショスタコーヴィッチはモノラルで、しかもDDR建国20周年を記念したできたてのKultur Palastのせいなのか、録音のせいなのか潤いのない響きなのが残念。トレチャコフは恥ずかしながら初めて聴くも同然だが、技術は冴えており、特に3楽章は興奮させてくれる。

○ベートーヴェン:交響曲第7番
カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立O.(Orfeo)
例の1982年5月3日のベーム追悼演奏会で、交響曲第4番だけが発売されていたものの片割れ。このコンビの1986年の来日公演は、自分も興奮しながら聴いたが、(その当時も思ったが)細かい傷、演奏技術十分とは言いがたいところが気になるも事実だ。特にフルート奏者については来日公演と同一人物なのかはわからないが、一度気になりだすと止まらない(同じオーケストラのサヴァリッシュ指揮のブルックナーの交響曲第1番(Orfeo,1984年録音)も第1楽章でフルート1番奏者が早いパッセージでウソ吹いているところがあるのだが、同一人物だろうか)。
とウダウダ言いながらも、この演奏ならではの魅力があるのも否定できない。その日の自分の気分によっても受け止め方が変わってくるだろう。

○ブルックナー:交響曲第5番
ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーンpo.(Teldec)
景気づけ。

2006年03月02日

「ラファエル・クーベリック ~レア・レコーディングス 1963-1974」

タイトルのとおりのもので、一部には初CD化のものも。
クーベリックと言えば、1975年の来日で存在を知ったのだが、ガキの自分には同年のベームとウィーン・フィルの来日より印象に残った事件で(曲目はここを参照)、マーラーの交響曲第9番、「わが祖国」、ヒンデミットなどは放送がなければ知らなかった曲で、今では赤面ものだが、誕生日に親に頼んでマーラーの交響曲第9番のLP2枚組みを買ってもらった。
この8枚ものセットにも、当時DGのカタログに載っていたが聴いたことのない自作自演「4つのフォーム」とかマルティノンのヴァイオリン協奏曲などもある(2つとも以外に面白く聴けた)。ピアノが作曲者のチェレプニンも聴いたのが初めてだが、民族的な不思議な響きが面白い。ハルトマンも「ドイツの20世紀音楽」という曲想が丁寧に激しく演奏されている。

ベートーヴェンは7番以外は全集に含まれるものでレア度が低くすでに全集を持っているのでだぶるのがちょっと残念だが、よくできた演奏だし、全集の第7番(ウィーン・フィル)と別録音の7番も燃える。
「グレの歌」、「夏の夜の夢」は名盤として有名なのでいまさら言うこともないだろう。

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2006年01月29日

NHK交響楽団第1559回定期演奏会

ブロムシュテットが振るのでゴー。

[指揮] ヘルベルト・ブロムシュテット
[ヴァイオリン] クリスティアン・テツラフ
[曲目] ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
      ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68

聴衆の高齢化着実に進行中を実感。NHKホールに行く前に東京都写真美術館に行って、「発掘された不滅の記録1954−1975 [VIET NAM ベトナム] そこは、戦場だった」という年齢層の高そうな写真展を見てきたが、それよりもっと高齢度高し。
で、演奏のほうは、重厚だけど重苦しさのない、かつ推進力にあふれたブラームスで、ないとヤダという人にはお気に召さないだろうが、オーケストラも「やればできる子」モードで(ただしオーボエ、トランペットを除く)満足して帰宅。
協奏曲はときによっては「きれい」ではない音も出す、ちょっとクレーメルも思い出したりするような演奏。もちろん技巧的には問題はないわけだが、パールマンでこの曲に親しんだ人はギョっとするだろう。特に弱音のところではっとするような表現があった。
交響曲は4楽章の一部を除くと、あまりテンポは動かさず(第2主題でテンポを緩めるようなのはナシ)、いろんなパートの絡み、掛け合いなどの構造がよくわかる演奏。

なお、第1楽章は繰り返しあり、コンサートマスターはドレスデン・シュターツカペレのピーター・ミリング。
本当はブルックナーの交響曲第3番(第1稿)をやる日も行きたかったのだが、出張があるので残念。ぜひ、ブロムシュテットには元気でいてもらいたい。

2006年01月13日

ジンマン・ベートーヴェン序曲全集(Arte Nova)

特価になっていたので、交響曲全集も持ってたしと購入。

ベートーヴェン:序曲全集

Disc1
「プロメテウスの創造物」序曲、「エグモント」序曲
序曲「コリオラン」、「レオノーレ」序曲第1番
「アテネの廃墟」序曲、「レオノーレ」序曲第2番

Disc2
序曲「命名祝日」 、「レオノーレ」序曲第3番
「フィデリオ」序曲、「シュテファン王」序曲
序曲「献堂式」
デイヴィッド・ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

交響曲全集と同じ、(a)校訂譜+(b)本人のアイディアでa,bのミックス具合は曲による、というやり方。金管楽器、打楽器は古楽器使用とのことで、随所にホルンのゲシュトップも聴かれる。
面白さでは圧倒的に1枚目。楽譜どおりではあるのだがぶっきらぼうにすら聴こえる「エグモント」の冒頭、軽やかな「プロメテウス」、内声パートが饒舌な「レオノーレ」2つの序曲、と賛否両論あるにせよジンマン「らしさ」を聴くことができる。2枚目のほうは曲があまりおもしろくないのもあるし、表現も以外に常識的だったりして、ワクワク感がない。
ジンマンのベートーヴェン、ピアノ協奏曲のソリストがブロンフマンというのも、折衷的なスタイルになりそうで二の足を踏んでいる。

2006年01月11日

ギーレン/ブラームス:交響曲第1番(HANSSLER - SWR MUSIC)

ギーレンのCD.

ブラームス:悲劇的序曲、交響曲第1番ハ短調

ミヒャエル・ギーレン指揮、南西ドイツ放送交響楽団
1995年12月14日、5月17日(交響曲)録音

1995年録音が10年経って商品化されるのはなぜ。
特に交響曲で顕著だが、暗黙の了解としてあるこの曲に対する「思い入れ」「重厚さ」とは無縁の演奏。第1楽章の第2主題もテンポは緩まないし、第2楽章はあくまでもAndanteでもったりはしない。
だからつまらないかというとそんなことはなく、第1楽章は陳腐な表現でアレだが悲劇に向かって突進するようで、第2楽章は弱音が美しい。第4楽章の終わりは燃え上がる。

いつもの「お約束」演奏に飽きた人にはぜひお勧め。
なお、第1楽章は提示部の繰り返しをしている。

2005年12月21日

サロネン「映画音楽作品集」

これも珍しいアルバム。

映画音楽作品集 サロネン&ロスアンジェルス・フィル (SONY)
バーナード・ハーマン:
『知りすぎていた男』前奏曲
『サイコ』組曲
『マーニー』組曲より(2曲)
『めまい』組曲
『引き裂かれたカーテン』より(3曲)
『華氏451』組曲
管弦楽のためのナイト・ピース『タクシー・ドライバー』
エサ=ペッカ・サロネン指揮、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

ヒチコック、トリュフォー、スコセッシという映画監督の作につけるため作曲された音楽。
ハーマンについては何も知識はなかったが、1911年生まれで、ジュリアード音楽院で作曲や指揮を学び、22歳でCBS(コロンビア放送局)に入社。23歳でCBS管弦楽団の常任指揮者に就任して、アイヴズの作品など現代音楽の初演などを振っていたりして、作曲活動もしていたそうだ。
現代音楽にも近いからなのか、モダンな楽想を豊富な音の種類でおしゃれに展開、豪華絢爛なサウンドで、打楽器使いも巧みで楽しめる演奏であった。

スラトキンの「バッハ・トランスクリプションズ」

この中のある曲(隠すことはないBWV552)を演奏することになったので、引っ張り出して聴く。

バッハ・トランスクリプションズ(Chandos)
レスピーギ編曲:パッサカリアとフーガハ短調BWV582
バントック編曲:「めざめよ、と呼ぶ声あり」BWV645
オネゲル編曲:プレリュードとフーガ ハ長調BWV545
レーガー編曲:「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BWV622
エルガー編曲:ファンタジアとフーガ ハ短調BWV537
ヴォーン・ウィリアムズ&アーノルド・フォスター編曲:「われらみな唯一の神を信ず」BWV680
ラフ編曲シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)
ホルスト編曲:「ジーグ風フーガ」ト長調BWV577
シェーンベルク編曲:プレリュードとフーガ 変ホ長調「聖アン」BWV552
レナード・スラトキン指揮、BBCフィルハーモニック

見てのとおり珍品的なものもあるが、小理屈言わず楽しく聴ける。オネゲル、ラフがちょっと変わってていい。

2005年12月02日

ベリオ:トランスクリプションズ

買いそびれていたものを先日ゲット。

「ベリオ: トランスクリプションズ」
ルチアーノ・ベリオ
パーセル: ホーンパイプ(「妖精の女王」の導入組曲より)
J.S.バッハ: コントラプンクトゥスXIX
ボッケリーニ: 「マドリッドの夜の帰営ラッパの4つの版」
モーツァルト: モーツァルトのためのディヴェルティメント
アリア 「恋人か女房がこのパパゲーノに」 の12のアスペクト
シューベルト: 交響曲スケッチに基づく 「レンダリング」
ブラームス: クラリネット・ソナタ 作品120のオーケストラ編曲

リッカルド・シャイー(指揮)、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

シャイーならではのアルバム。
「レンダリング」やブラームス以外は初めて聴く曲ばかり。ベリオのオーケストレーションの上手さを楽しむ。

2005年10月27日

ジュリーニのドヴォジャーク交響曲第8番など

先日、ジュリーニ&ロサンジェルス・フィルのブラームス交響曲第2番を聴いたので、突如、昔々聴いた演奏が懐かしくなり、「カルロ・マリア・ジュリーニの芸術」を何枚か追加購入してしまった。

ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88
シューベルト:交響曲 第4番 ハ短調 D.417《悲劇的》
シカゴ交響楽団、指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
録音:1978年3月 シカゴ

厨房じゃなかった中坊、高校のときにFMで放送されたのをエアチェック(死語)してよく聴いた演奏。
ややレガート過剰なきらいはあるが、どのパートもよく歌い、雄弁で、遅めのテンポなのに重たくない。

ちなみにHMV のサイトに許光俊センセイのジュリーニ追悼文が載っているが、


日本には1980年代、ロス・アンジェルス・フィルと来たきりだった。私は幸いにも、そのときのおよそアメリカのオーケストラらしくない厳粛な音楽に三晩つきあった。

って、「アメリカのオーケストラらしくない」というのもツッコミどころではあるが、おいおいその(1982年)前にイスラエル・フィル(1960年)とウィーン交響楽団と(1975年)来ているんだが。ちょっと調べればすむことなのに、クラヲタを抱えたHMVの担当者も気づかなかったんだろうか。

2005年10月25日

サロネン「Wing on Wing」

サロネンと言えば、自作自演集CDを買ったままになっていた、と取り出して聴く。

WING ON WING ESA-PEKKA SALONEN (*1958)

1.Foreign Bodies (2001)
for orchestra
commissioned by the Finnish Radio Corporation
dedicated to Jukka-Pekka Saraste
Part I: Body Language [9:49]
Part II: Language [6:03]
Part III: Dance [3:37]

2. Wing on Wing (2004) [25:45]
ritten for the Los Angeles Philharmonic for the opening of Walt Disney Concert Hall
dedicated to Frank O. Gehry, 豊田泰久, Deborah Borda, Anu Komsi • Piia Komsi, soprano

3. Insomnia (2002) [21:15]
for orchestra
co-commissioned by Suntory Hall, Tokyo and Norddeutscher Rundfunk, Hamburg dedicated to Christoph Eschenbach

World-premiere recordings

Finnish Radio Symphony Orchestra
ESA-PEKKA SALONEN
Recording: Helsinki, Kulttuuritalo, September 2004

アヌ・コムシ、ピア・コムシ*(S)
フィンランド放送交響楽団
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
録音:2004年9月、10月


当然のことながら全部世界初録音で、このうち「Foreign Bodies」と 「Insomnia」は2002年12月に、「サントリー国際作曲委嘱シリーズ」でN響とサントリーホールでやったのを聴いている。
(関係ないがそのとき最初に演奏された田中カレンの曲を聴きとおすのがつらかったし、作曲家・指揮者サロネンの審美眼に少々疑いを持ってしまった。)
曲自体の印象はそのときと同様「どこかで聴いたような」という感じで、あと音符は多いので、とかく現代音楽アレルギーなオーケストラプレーヤーの方々も楽しいだろうし、そこは作曲専業でないサロネンだからなのだろう、と思う。

クレンペラー指揮ブルックナー交響曲第6番(Testament)

Testamentから出たライブ。

ブルックナー:交響曲第6番、ブルックナー:テ・デウム

 ヘザー・ハーパー(S)、 ジャネット・ベイカー(Ms)
 リチャード・ルイス(T)、 マリアン・ノヴァコフスキ(Bs)
 BBC合唱団、 BBC交響楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)、録音:1961年1月12日、BBCメディア・ヴェイル・スタジオ (モノラル)


イギリスにおいては(も?)、ブルックナーの交響曲は珍曲扱いだったようで、ウォルター・レッグがなかなか録音させてくれないため、クレンペラーはBBCに交渉し、ラジオの現代音楽専門チャンネルで放送することになった、とのことである。
第1楽章がかなり遅い部類の堂々たる歩みの演奏で、逆に多くの指揮者がのめり込んで歌いまくる第2楽章は速い部類の演奏、というのがいかにもクレンペラーらしい。「阿波踊り」化(もちろん、阿波踊りがいけないのではなくただのバカ騒ぎという意味)した第1楽章、陶酔しきった第2楽章に鼻白むことがときどきあるので、偏屈クレンペラーのやり方が好ましかったりする。
「テ・デウム」も天下堂々。

2005年10月19日

ジュリーニ指揮ロスアンジェルス・フィルのブラームス交響曲第2番

ジュリーニ追悼「カルロ・マリア・ジュリーニの芸術」で発売されたものの1つ。
ブラームスの交響曲第2番が1980年、併せて収録されているシューマン「マンフレッド」序曲が1981年と、デジタル録音初期のもの。初めてこれを聴いたのはもちろんLP、と歳のわかることを書いてみる。
ブラームスの交響曲は後年、ウィーン・フィルと全集を録音しているが、この曲に関しては大巨匠となって重たい感じがするウィーン・フィルとのものより、こちらの方が自分には魅力的である。
もちろんテンポは遅い部類に入り、オーケストラの「格」も違うということになろうが、ブラームスのオーケストラ曲で重要な内声のパートが生き生きときこえ、曲の構造がよくわかる。また、演奏活動の最終期と違って、活力もみなぎっていて、第4楽章のコーダではちょっと加速もしたりする。
なお、第1楽章提示部の繰り返しを行っている。

2005年10月12日

コンヴィチュニーのシューマン交響曲第1番・第4番

先日、ゲヴァントハウスの売店で買ったもので、ジャケットのデザインが東ドイツ時代のレーベルETERNA仕様(Berlin Classics)。いかにもDDR(東ドイツ)というキッチュなジャケットのデザインである。

褒めてるんだかけなしているんだかわからない「いぶし銀の響き」というキャッチフレーズが使われたこのコンビであるが(googleで「ゲヴァントハウス いぶし銀」と検索すると100余出てきた)、このCDを聴くと録音が冴えないことが意外にその理由でないかと思ったりする。リマスターされているのに、しょぼい録音なのである。
で、これも決まり文句として「重厚」、「伝統」という言葉で語られる指揮者であるが、重厚だけでなく情熱(思いっきり陳腐な言葉だが)が備わった演奏で、人をひきつけるものがある。

2005年08月17日

セル指揮ベルリン・フィルのライブ

Testamentから出た1969年6月26日のフィルハーモニーにおけるライブ。

ブラームス:悲劇的序曲
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
シューマン:交響曲第2番

と、いうセル愛好家なら萌え萌えの曲目である。
セルも晩年とはいえ元気で、ベルリン・フィルもカラヤン帝国時代で、これでもかとオーケストラが鳴りひびき、特にシューマンでは生演奏ならでの盛り上がり(テンポのゆれ、ダイナミクスの幅など)も聴くことができる。いらいらしているとき、スカッとしたいとき聴くと効果的だろう。

ちなみに、ブックレットには(Testamentのサイトで読むことができる(ここ))、シューマンはベルリン・フィルにとって演奏しなれた曲でなかったこと、コンサートは大成功を収めたがシューマンについては批評する側もとまどっていたらしいことが書かれている。

先週聴いたCD

今週はまた出張に出かけたので、iPodに入れたのを新幹線の中で聴いた。

Tribute to Pierre Boulez
シカゴ交響楽団自主制作版で、ブーレーズの演奏を集めたもの。
曲目詳細を書き写すのはめんどいので、シカゴ響のサイトにある詳細をご覧くださいませ。

もちろん買ったのは、ブーレーズがヤナーチェク「グラゴル・ミサ」、曲目だけでもびっくりなのに、しかも「イントラーダ」が最初と最後に出てくる原典版でやっているので大枚はたいて購入。
ライナーノートをちらっと見たが、ブーレーズは最近ヤナーチェクへの関心が芽生えたらしい。意外に(?)雄大指向というか熱い演奏であった。
珍曲としてはショルティ生誕80年記念のファンファーレ、また、ブーレーズの指揮という点で意外なのはR.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲル」などもあり、ちょっと高かったが(←しつこい)それなりに堪能。

プロコフィエフ:交響曲第1番、第5番、スキタイ組曲「アラとロリー」プレヴィン指揮ロサンジェルスpo.による演奏(Philips)で、交響曲第5番お勉強用に取り出したもの。
リズムの処理が丁寧かつ、軽快で楽しい。

2005年08月12日

チェリビダッケのプロコフィエフ交響曲第1&5番(EMI)

チェリビダッケのプロコフィエフというと「古典交響曲」は戦後間もないころの録音もあったし、ミュンヘン・フィルとのリハーサルの映像も見たことがあるが、これは「古典交響曲」と交響曲第5番の組み合わせで昨年発売された1988年、1990年の録音。詳細はこちらで。検索したら交響曲第5番はシュトゥットガルト放送響との演奏もあった。

「古典交響曲」はためらいなしに好きと言える曲だが、交響曲第5番は第2次世界大戦に勝利する偉大なるソ連邦の祝祭気分を味わう曲なのか、巨大な音の構造物なのか、演奏者に技術的困難を強いて、聴き手としてはその名人芸をフィジカルに楽しむべき曲なのか(←「なのか」の羅列じゃ「愛の流刑地」だ)、私にとってはどう捉えたらいいかよくわからない曲である。
チェリビダッケは当然のことながら構造物路線をとっており、気力充実していたころの演奏として、好き嫌いはあろうが圧倒的な迫力で聴かせる演奏であることは間違いない。

2005年07月11日

ハイティンクのブルックナー交響曲第8番

ブルックナー月間は終わったが、これを買って放置したままだったので、聴く。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 ベルナルド・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 2005年2月18,20日、アムステルダム、コンセルトへボウ(ライヴ)、自主製作盤 (詳細はこちらでも)

去年この指揮者のこの曲の来日公演(シュターツカペレ・ドレスデン)が聴けなかったのが残念。
ハイティンクのこの曲の5種の演奏のうち、自分で持ってるのはこれが4種めとなるが、聴けば聴くほどなぜ日本のブルックナー愛好家はハイティンクに対する評価が低いのか謎である。
この曲、煽り音楽としてやろうと思えばいくらでもできるつくりであるが、煽りモードにはならず、音楽をきっちり再現して自然に盛り上げるのがさすがであり、満足感をもたらすのである。
ちなみに、キング・インターナショナル作文章では(上のリンク先でも読める)

金管の咆哮が凶暴なスケルツォ

ってなっているが、確かに馬力はあるがどこをどう聴けば「凶暴」にきこえるのか。
そんな子はおうちに帰って、○(ピー、以下自粛)でも聴いてなさい。

2005年04月07日

アーノンクール指揮ハイドンの「パリ交響曲集」

アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる「パリ交響曲集」で、詳細はこちらを(一部視聴もできる)。
ハイドンの交響曲も「ロンドン(ザロモン)セット」以外ももっと聴かれていいのに、聴こうにもあまり音盤があまりないのはけしからんと思っていたので、これは店頭で見て即購入。

一言でいうと、アーノンクールももう好々爺かと思っていたら、まだそうではなかった、というところか。
激しいアタックに、金管楽器の強奏、ユーモアたっぷりというかドラマチックというか、もうたまらん。…(;´Д`)ハァハァ
ハイドンの交響曲の革新性については、ノリントンも語っているが(ノリントン、ハイドンのパリ交響曲を語るを参照)、「パリセット」は「ロンドンセット」よりもっと革新性が全面に出た曲で、しかも曲ごとのキャラが立っている。それぞれのキャラ(特徴)に、とことん付き合った演奏となっていて、とても楽しい。
アーノンクールアレルギーな方には合わない演奏かもしれないが、「アレルギー」な方も含めて、おすすめ。

2005年04月03日

先週聴いたCD

ああ、まとめ書きが恒例化してヤバい。

サロネン/ヒンデミット管弦楽集(Sony)
今のところドイツだけのリリースなのか、検索してもあまり引っかからないし、店頭にもそんなになかった商品。そういえばDGに移籍したのでこれがSONYでの録音の最後あたりなのか。
詳細はリンク先にあるが、「ウェーバーの主題による交響的変容」、「4つの気質」、交響曲「画家マチス」が入っている(ロサンゼルスpo.、ピアノはアックス)。
こういう曲がレパートリーとはちょっと意外だったのだが、晦渋な音楽と片付けられることになりがちなこれらの曲が見通しよく演奏されていて、なかなか楽しめた。
「ウェーバー」のノリがいいんだか悪いんだかわからない独特な世界も、ノリノリのところはちゃんとそうしあがっているのも、この指揮者ならでは。

ブロムシュテット&ゲヴァントハウスボックスより(QUERSTAND)
この間ブルックナーを聴いて、全部聴ききっていなかったので取り出す。


  • ヨハン・アダム・ヒラー:序曲「狩」、レーガー:ヒラーの主題による変奏曲、ジーグフリート・マトゥス:管弦楽のための協奏曲「RESPONSO」[録音:2004年9月9、10日]
  • メンデルスゾーン:「ルイ・ブラス」序曲、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:ベルント・グレムザー)、交響曲第3番「スコットランド」[録音:2004年11月5、6日]

ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
在任中にメジャーレーベルでの録音が少ししかなかったのは、業界の不況からだろうが、マズア時代にこのオーケストラの能力が低下したのがウソのようであり、めでたい。
(1枚目はヒンデミット以上に晦渋な曲目であるが。)

なお、マトゥスは東ドイツ(DDR)時代を代表する作曲家の一人で、Berlin Classicsから出ていた(いる?)「DDRの音楽」シリーズにも曲が入っている。夫人はピアニストのアンネローゼ・シュミット。また、この「Responso」はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンにささげられた曲(のはず)。
「代表する」というのは政治的にもであり、DDRの崩壊と一緒に失脚したのかと思ったが、健在で公式サイト(?)もあるようだ。

なぜこの曲に詳しいかといえば、演奏したことがあるから。

2005年03月28日

最近聴いたCD

最近とは3月14日~25日のあたり。
実は、1988年より花粉症患者となっているこの身は,この季節、抗アレルギー剤を飲んでいるのに、日頃からスキあらばすぐ惰眠をむさぼってしまう体質がパワーアップ。
帰宅してもテレビを見ているうちに寝てしまう、浴室で2時間くらいは平気で寝てしまう。音楽鑑賞の重要な場でもある通勤時間も、学校が春休みで行きの電車もすぐ座れてしまうのもあって、爆睡の場(何回か終点で隣の人に起こされてしまったorz)。

といいわけばかりであまりCDが聴けていない。多くのブログには「こんどこそ」とか「気分一新」とかいいわけがあるそうだ。

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2005年03月14日

先週聴いたCDのメモ

出張やらなんやらで移動が多いのと、オケ練習対応のためiPodに詰め込んだブルックナーばかり聴いていた。

3月8日~11日
[交響曲第5番]
・チェリビダッケ指揮ミュンヘンpo.(EMI)(1993年)
・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウO.(DECCA)
海原雄山じゃなくてチェリビダッケは久しぶりに聴いたが、陳腐な例えだがまさに「巨大な構造物」。シャイーは交響曲第5番のリズミックな側面を再認識。

[交響曲第9番]
・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウO.(DECCA)
・バレンボイム指揮ベルリンpo.(TELDEC)
シャイーも交響曲全集を入れている(しかも0番までも)のに、「ブルックナー指揮者」と呼んでもらえない指揮者であるが、ブルックナー苦手という人が聴いてみると面白いだろうし、往年の巨匠ブルックナー命という人も20世紀音楽に近づいているこの曲など聴いてみるいいのではないか。
バレンボイムは先日聴いた第5番よりは抵抗感が少ないが、でもよくわからない。

2005年03月07日

新妻ムター弾くチャイコフスキー&コルンゴールトのヴァイオリン協奏曲

ムターとその夫になってしまったプレヴィンの伴奏による、甘美なヴァイオリン協奏曲がお好きな人にはたまらないチャイコフスキーとコルンゴールトの協奏曲の組み合わせ。
2003年9月と10月の録音で、詳細はここ。(DG)

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は私にとっての苦手三大有名協奏曲に入るが、これはコルンゴールトに興味があったので購入。
チャイコフスキーはコブシ全開バリバリでテンポの伸縮がかなり大きい演奏であったが、音の質に好ききらいはあろうが、技巧的には安定していること、たくましい身体で作られる音が太いこと、などで、それほど嫌な感じは受けずに聴くことができた(引き崩し系の人で技巧的にヘロヘロな人は結構多い)といっても、意識的にやっていると思われるハスキーな音、カラヤンとの演奏と比べるとかなり行っちゃっているというか、キてる感じもあり、人によっては受け入れられないということもあろう。
なお、お約束のカットあり。

コルンゴールトはこの演奏スタイルがさらに生きる曲で、甘い甘いメロディーがこれでもかと粘っこく歌われていき、こういう曲をやらせたらダントツのプレヴィンも甘さ倍増の伴奏をつけていく(ただし、プレヴィンを「映画音楽あがり」とか「ジャズあがり」呼ばわりする見方には同意できない。ドイツものとか結構いいと思う)。ハイフェッツ、ハシャムくらいしかこの曲の音盤は容易に入手できないし、この曲に興味ある人だったら、持っていて損はないとは思う。

なお、CDのブックレットはムター写真集と化していて、結婚指輪と花の形にダイヤが散りばめられた高価そうなリングを重ね付けした右手のアップなどもみられる。うーん。上のリンク先もムターの写真ばかりだ。
このブックレットのせいで、もう1回くらいお金持ちの爺と結婚されるのだろうか、とか、遺産たくさん入って、さらに…(以下自粛)と、演奏の内容とはまったく関係ないことを考えさせられてしまった。それもこれもブックレットのせいだ。

2005年03月04日

プーランク「グローリア」など

「グローリア」学習用に店頭にあったものを購入(Telarc)。3つも入っているお得な商品かも。

プーランク:グローリア
      オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲
シルヴィア・マクネアー(S)、マイケル・マレイ(Org)
ロバート・ショウ指揮、アトランタso.&合唱団

ロバート・ショウというとトスカニーニやセルの録音で合唱付き曲だと、必ず「ロバート・ショウ合唱団」というのがくっついていたという記憶があるが、そういえば後年はオーケストラの指揮もするようになっていたのだった。
録音は多くの人がテラークというレーベルに持っているであろうイメージを裏切らない音作り。なんか派手。合唱が前面に出ているように聞こえた(これは録音のとり方なのか、指揮者の考えたバランスの故なのかは不明)。
合唱をやる人がお勉強用に聴くには適しているかも。
肝心の演奏の評価については、曲への愛着が今のところ詩篇交響曲>>>>協奏曲>>>>グローリアなので、難しい。

2005年03月03日

ティーレマンのブルックナー交響曲第5番

こんなものが出たのでまた買ってしまった。あはは。
今度日曜日に(この曲の)初練習なのであわてて聴く。
2004年10月、ミュンヘンでのライブ録音でティーレマンがミュンヘンpo.の音楽監督に就任し、それを寿ぐコンサートでもある(ガスタイク、カール・オルフ・ザールでの録音、DG)。
久しぶりの「純」ドイツ人の指揮者で、しかも往年の巨匠指向の重厚長大音楽をやる人で、そこがお好きな人にはたまらないのだろうが、自分としては今一つ萌えない。
カラヤンの亡霊なのか、チェリビダッケが化けて出てるのか、ヨッフムが天国から見守っているのか、いずれにせよ名を挙げた指揮者なみの遅さで、トータルで82分余りもかかっている(CD1枚に詰め込んじゃってるが大丈夫なのか)。
一番違和感があった(そしてこの種がお好きな方にはたまらない)のは、第2楽章で、全体のテンポが遅いのに加え、ところどころで粘って止まりそうになる。第2楽章のクライマックスではチェリ名物雄叫びが聞こえる(ウソ)。

こういう演奏や先日のバレンボイムの演奏などを聴くと、過去の巨匠の遺産の継承とは何なのか、またすでにいろんな手練手管で音楽が演奏されている上で、演奏活動の創造性とは何なのだろうか、というところまでも考えさせられるのである。

2005年03月01日

バーンスタイン指揮ショスタコーヴィチ交響曲第9番新旧

この曲も6月に演奏するのでiPodに演奏を何種か入れているので、せっかくだから同じ指揮者の新旧演奏を聴き比べ。
ニューヨークpo.(1965年録音、SONY)とウィーンpo.(1985年録音、DG)で20年の歳月が経ち、バーンスタインも風貌が変わっただけでなく、音楽界における位置づけも変わった。
この曲の持つ諧謔性が前面に出されているのは古い方で、才気煥発を絵に描いたような指揮で、「聴いて聴いて」と訴えかけてくるような演奏。残念なのは第3楽章のトランペットソロのヴィブラートが、(自分にとっては)ちょっと下品に感じられるところ。職人タイプの指揮者ではないので、荒っぽいところや合奏が乱れるところもあるが、それは不満にはならない。
20年あとの演奏は、サウンドとしてはずっと美しく合奏が乱れることはないのだが、晩年のバーンスタインの特徴である重さ、というかテンポがたるいというべきか、そこがマイナスになっているように思う。
計測上の演奏時間がそんなに長くなっているわけではないのだが、とにかくリズムが重い。

2005年02月27日

先週聴いたCD(メモメモ)

2月23日
ブルックナー:交響曲第9番
ワルター指揮ニューヨークpo.(Music and Arts)

ニューヨークpo.との1946年3月17日のライブ録音。
さすがに録音の悪さはいかんともしがたいが、この時期のブルックナー演奏の記録が
レコーディング、ライブとも少ないもので、ブルックナー演奏史をたどるという点で貴重な録音。ワルター、オーマンディーともアメリカにおけるブルックナー演奏のパイオニアであることは間違いない。ハース版によっているようだが、ワルターが慣れ親しんだであろう改訂版的解釈もみられる。
3楽章のテンポが走り気味というか4拍子の4拍めが寸詰まりになっていく(3.5拍子みたいになっていく)のにちょっと笑ってしまった。


2月24日
ブルックナー:交響曲第9番
フルトヴェングラー指揮ベルリンpo.(DG)

演奏史ということでこれも思い出して聴く。いわずとしれた有名録音で1944年10月のライブ録音。ただしライブといっても同じ年の12月のウィーンpo.との「エロイカ」と同じく、演奏会のライブでなく放送用録音なので、戦争中の録音で異様に目立つセキの音など雑音はないし、1946年のワルターの録音より聴きやすい。
猛烈なアッチェランドが掛かる箇所が散見されるものの、同じ指揮者による同じ月の交響曲第8番とともに、聴きやすい、少なくとも「ついていけません」とはならない(フルトヴェングラーの「ロマンチック」、第5番とかはどうしてもついていけないことろがある)。フルトヴェングラーのブルックナーについて否定的な意見が多いのは、例の○ーホー先生の影響も大だといえよう。
なお、演奏以外の指揮者のおかれた状況を考慮するのは基本的には邪道だろうが、この演奏の場合、第三帝国の終末期でベルリンも空襲でかなりやられている時期にあることはどこかに影響を与えているだろうし、録音のせいもあってTuttiで強奏したあとの静寂は爆弾の後の廃墟のイメージと重なり合う。また、モノの本にあるとおりフルトヴェングラーは指揮者デビューの最初の演奏会でこの交響曲第9番を演奏しているが、この曲の演奏は演奏会記録の本を見ると、どうもこのときが生涯最後でもあるようだ。なぜなのだろう。

2月25日
ブルックナー:交響曲第5番
バレンボイム指揮ベルリンpo.(TELDEC)
全集なので購入したものだが、久しぶりに聴くとやっぱりウマが合わない。バレンボイムの演奏は、フルトヴェングラーヲタであるバレンボイムが尊敬する指揮者をまねっこして指揮してるだけ、つまり日本のクラヲタが自室でCDに合わせて指揮真似してるのと同じじゃないか、としか自分には感じられない。
(ピアニスト・バレンボイムは決して嫌いじゃないのだが。そういえば、昔、バレンボイム、メータなどの指揮者がフルトヴェングラー研究会みたいなことをしてると「レコ芸」で読んだことがあるが、あれは本当だったんだろうか。)

2005年02月22日

まだ聴くかブルックナー交響曲第9番(きょうはショルティ)

実はこの間の土日部屋の2階が落ちないように(ウソ)部屋の片付けをしたのだが、その過程でブルックナーの交響曲第9番のCDが60種余りあることが発覚。いやあ、40種はあるとは自覚していたのだが、ここまでとは…。_| ̄|○
しかも、意図せざるダブり買いもいくつか発見され、加齢に伴う物忘れに鬱となるとともに、飲酒時のCD買いはやめようと誓うのであった。


どっちみち弾くのだからと、昔々聴いて忘れている演奏を引っ張り出して聴いてみる。きょうは、ショルティ指揮シカゴso.、1985年の録音である。
恐らく、日本のブルヲタな方々には「ショルティのブルックナー」なんてという方がかなりいるのではないかと思われるが、この演奏はショルティの演奏で時にしてあるセカセカしたものはなく悠然としていて(なんと第3楽章は27分近くあり遅めの部類である)、優秀なオーケストラの技術と相俟ってストレスなしに聴くことができる。特に金管愛好家の方は萌えるであろう。
ただひとつ気になったのが、弦楽器のヴィブラートがこれでもかとかかっていること。最近ヴィブラートについて思うところあって、気にしすぎかもしれないが。アメリカのオーケストラはえてしてヴィブラートギンギン掛けてるなとは思っているが、この曲だと第3楽章はもうちょっと慎ましくしてくれてもよかったような気がする。よく鳴るオーケストラだからこそなおさら。

2005年02月21日

ブロムシュテット指揮ブルックナー交響曲第3番(1873年第1稿)

ただいまブロムシュテット先生とライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラがめでたく来日中で、自分も26日相模大野グリーンホー