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2006年04月09日

司会者交代の「N響アワー」(4/9)

ということで、4月9日より大河内奈々子タンにかわって、NHKアナウンサーの高橋美鈴様。「様」を付けたくなるような、池辺先生のダジャレにもニッコリする古典的正統派NHK女性アナウンサーの典型である。
前任者と違い、作曲家、演奏家、指揮者の名前を噛まずによどみなく読んでくれる、ということに感動する自分に感動。

曲目はNHKのサイトを引用するとこう表記されているのだが、


プロメテウス (火の詩)作品60 (スクリャービン)

 管弦楽:NHK交響楽団

 指揮:ウラディーミル・アシュケナージ

 ピアノ:ペーテル・ヤブロンスキー

 合唱:国立音楽大学

 2006年2月25日 第1562回定期 (NHKホール)

交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲そう」から (チャイコフスキー)

 管弦楽:NHK交響楽団

 指揮:ウラディーミル・アシュケナージ

 2006年3月3日 第1563回定期 (NHKホール)

「悲そう」という表記に脱力。
「プロメテウス」は、「色光ピアノ」を本当に使った完全版の世界初演ということで話題となったものだが、前に一度BSで見たときも思ったが、ホールにいたらまた違うのだろうが、あまり曲に集中できなくて「何だこりゃ」状態のうちに終了。(BSで見たとき前プロでやっていた交響曲第1番は、合唱までついているのに曲が「何だこりゃ」だが。)メリットとしてはアシュケナージの指揮姿を見なくてすむことか。
続いての「悲そう」。なんで最近この指揮者・オケでチャイコフスキー交響曲やりすぎなのか。スクリャービンと違い指揮者の姿が見えてしまう。人柄はよさそうで、優秀なピアニストであったのに、指揮は音楽に合わせてギクシャクしながら踊っているだけであるのが悲しい。
N響団員氏のサイトの日記で、

アシュケナージ先生はとても細かい所までニュアンスを大事にされるので、場合によっては私にはどうしたらよいのか良く理解出来ない事があります。微妙な節回しなどはあらかじめ決められるようなものではないと思うのですが、そこまできちんと決めておかれたいようです。ですが結局本番では足並みが揃いませんでした。ピアノのように一人で弾く場合にはルバートをきちんと決める事はできるでしょうが、オーケストラのように何十人もの人が弾く場合には色々約束事をしてもその場になると人によって感じ方が違ってしまうのです。
(http://www.nezu.ms/tubuyaki.06.02.html)

とあるが、これからするとコントロールするところとオーケストラの自発性に任せるところの加減に問題があるのか。

2006年04月02日

奈々子タン、「N響アワー」を1年で去る

と書いたが、あまりにもやる気のない大河内奈々子はどうでもよかった。専門家である池辺先生に教えてもらうという立場なので、クラヲタ芸能人(そんなのいるのか)がやるわけにいかないし(「アシュケナージの指揮は・・・」と言い出しても困る)、かといって奈々子嬢のように台本の下読みをしていないようなのも困る。
4月からは芸能人ではなく、高橋美鈴アナが進行役となるが、NHKのサイトの次回分の紹介(「今週の主な番組」)に

新年度、新司会に高橋美鈴アナウンサーを迎え、リニューアルする「N響アワー」。池辺晋一郎を「音楽を愉快に伝える作曲家」、高橋アナを「音楽の初心者で情報伝達のプロ」の進行役と位置づけ、音楽の魅力をたっぷり紹介する。

とあったのがちょっと笑った。奈々子タンは「情報伝達」に難ありということだったのか。

肝心の番組は「- 名演奏ふたたび~2005年ベスト・コンサート -」の集計結果であったが、投票結果はそれとして部分ではあるが実際の映像を流すのにさりげなく池辺先生の好みを入れているところに、さりげない自己主張を感じた(パーヴォ・ヤルヴィを紹介するのに自分が好きだからとシューマンの交響曲第3番第1楽章を取り上げていた)
また、コンサートトップテンのうち、音楽監督が2つだけなのに、ヤルヴィが3つ全部入っているなどは、なるほどと思わせるものあり。

2006年03月27日

N響アワー「-リクエスト特集 思い出の名曲・なつかしの指揮者」

で、シュタインやら山田一雄やらサヴァリッシュやらマタチッチやらのなつかし映像が出てきた。ただし、断片。 
NHK交響楽団の歴史の上で大きい意味を持つのに、クルト・ヴェスの映像がまったくないのにびっくり(ニュース映画とかでなかったのか)。
山田一雄はついにリアルで接することがなかったので(実は振っていただく予定があったのだが、急逝された)感慨深いものがある。確かに滅茶苦茶な指揮で、「春の祭典」の日本初演が大混乱だったのも納得だが、また人間的には愛されていたのもよくわかる音楽への情熱を感じさせる指揮ぶりでもある。
なお、
http://www.hmv.co.jp/news/newsdetail.asp?newsnum=603300089
を見ると、

NHKクラシカル・シリーズ クラシック音楽の“伝説の名演”が、DVDでよみがえる! NHKのアーカイヴに残されていた歴史的名演の数々が初のパッケージ化。世界的名指揮者・名だたるオーケストラによる日本公演をぜいたくにラインナップした「NHKクラシカル シリーズ」誕生。

ということで、初回はカラヤン、ショルティの映像が出る。続編もあるらしく(恐らく「20世紀の名演奏」で部分をやったものだろう)、楽しみ。

2006年03月21日

「クラシック・アーカイヴス」

東芝HDDレコーダーRD-X6を昨年末に導入、ヲタ生活まっしぐらだが、ホイホイ録画しているとどんどん見てないものもたまっていくわけで、HDDの残りも少なくなり連休なのに引きこもって部屋の片づけをしながら見る。
主な物件は「クラシック・アーカイヴス」というのをNHKBS2の「クラシック倶楽部」(「倶楽部」なんてネーミングがアレだ)で不定期にやっているので、市販されている映像ではあるが全部買っていては身が持たないので見る。
いくつか見た中で感銘が深かったのは、プーランクの自作自演、ハイフェッツ、ミルシュテインの映像、フランソワの弾く協奏曲。
プーランクは優れたピアニストでもあったが、その伴奏で歌うオペラの伴奏などいかにも「フランス的」な洒脱な感じが楽しい。
ハイフェッツ、ミルシュタインは20世紀のヴァイオリン演奏・技術の最高峰の1つであり、余計な動きは一切なしに、また余計な演奏家の自意識も表面に出さずに、淡々と演奏していくのに感動。
フランソワはラヴェルの演奏は名演として有名なものだが、グリーグも少々異色かもしれないが、フランソワでなければできない世界。

ストラヴィンスキーはマルケビッチ指揮の「詩篇交響曲」は面白いのだが、肝腎の「火の鳥」(もちろん1945年版!)は自作自演という事実に感銘は受けるが、指揮の画像を見ていると疲れる。
カラヤンの「幻想交響曲」は珍しいパリ管弦楽団との演奏だが、いつものカラヤン画像演出過多はまたかよ。演奏は1970年のカラヤン最盛期だが、あの分厚い音作りで「幻想交響曲」をやると違和感あり。これだけカラー映像(音声はモノラル)。
ハンス・シュミット=イッセルシュテットのベートーヴェン、ワグナーは立派な演奏ではあるが、普段の相手ではないからなのか、

曲目はこの後に。

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2006年02月28日

ブロムシュテットのブルックナー交響曲第3番第1稿

行きたかったけど出張で東京に不在のためかなわなかった演奏会。
もうちょいできる子モードを聴きたいと「N響アワー」の後、見る。

NHK交響楽団第1561回定期演奏会
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
ブルックナー: 交響曲 第3番 ニ短調 ( 第1稿・1873 )
ピアノ : ラルス・フォークト (モーツァルト)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団
指 揮 : ヘルベルト・ブロムシュテット
[ 収録: 2006年2月8日, サントリーホール ]
このコンビでブルックナーのこの交響曲の同じ第1稿の演奏は、すでにやっており、そのときは実演に接することができた。ブロムシュテットは「演奏困難」とされたこの楽譜に真面目に取り組むので、楽譜に書かれている拍のずれ、暴力的なまでに突然止まる曲など曲の当時としては前衛的な部分をきちんと再現しようとするので(きちんと再現できたとは書かないが)、そういう部分がいっそう際立つことになるので、満足。 それだけに、最後にキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!というAAそのままのブロムシュテットの顔を曇らせた、指揮棒が降りないうちに拍手をしたヴァカが憎い。

ついでにブロムシュテットがゲヴァントハウス管弦楽団を振ったこの曲のCDも聴き、さらに堪能。第4楽章などもうたまりません。…(;´Д`)ハァハァ 
モーツァルトはこの曲としては暗めの演奏(それも悪くはないが)。モーツァルトイヤーなんて…というひねた自分にはかえってよいかもしれない。

2006年02月26日

やる気ない子モードの演奏N響アワー(2/26)

こういう番組にケチつけるのも無粋だとは思うが、ちょっとむかついたので。

 − シューベルトは歌謡曲!?
            斎藤晴彦の“歌うクラシック” 
「交響曲 第7番 ロ短調“未完成”から 第2楽章」
                      シューベルト作曲
                (指揮)マルク・アルブレヒト
  〜NHKホールで録画〜
「交響曲 第8番 ヘ長調 作品93から 第1楽章」
                      ベートーベン作曲
                  (指揮)ウーヴェ・ムント
  〜NHK大阪ホールで録画〜
「歌劇“フィガロの結婚”序曲」       モーツァルト作曲
                  (指揮)イルジー・コウト
  〜東京・サントリーホールで収録〜
「“夏の夜の夢”序曲」         メンデルスゾーン作曲
                      (指揮)阪 哲朗
  〜NHKホールで録画〜
 
2つめ、4つめの演奏が悪い子モードのN響の悪例そのもの。前者は指揮者のせいもあるのだろうが、メリハリなくただ弾いているだけ。ベートーヴェンの強弱記号は無視され、ずっとmf(メゾフォルテ)で推移。 後者は露骨に若手日本人指揮者を馬鹿にする態度がそのまま演奏に現れ、合奏をきちんと合わせることすらいってない。 非音楽人がゲストだからといっても、もうちょっと選んでやれよ...。

アレキサンドル・トラーゼの赤いタオル

NHK教育でやっている「スーパーピアノレッスン」。ピアノは弾けないので見てなかったのだが、深夜にまとめてやったルイサダが講師のショパンが面白かった。で、続けてアレキサンドル・トラーゼが講師の「大曲に挑む」のシリーズも見てるのだが、汗を首に巻いた赤いタオルで拭き拭き熱烈指導をするトラーゼに惚れた(リンク先はトラーゼ・ピアノ・スタジオ)。
(そういえばトラーゼは前サロネン指揮N響定期でショスタコーヴィチの協奏曲第1番を熱演したのを楽しく聴いたが、演奏が終わって首席トランペットS氏と抱き合う様は相撲のがぶり寄りであった。)
前記のとおりピアノを勉強したことがないので、技術的なことはよくわからないのだが、ハイドン(ソナタHob.ⅩⅥ-49)では見かけに反して(?)繊細な歌にこだわりで、ベートーヴェン(ピアノソナタ第30番)はメカニックな面だけでなくフレーズをどう聴かせるようにするか、音楽の間(無音)をどう捉えるかという指導。
得意中のレパートリーであるプロコフィエフ(ソナタ第7番)では、「ここはトロンボーン、チューバをイメージして」とブォーと声を出してマネまでしたり(「バスクラリネットのように」と指導していたところも)、メロディを聴かせるのではなく内声を聴かせるようにという指示。何拍子の曲を弾いているのかきちんと考えながら弾くようにとか(楽譜が4分の3拍子なのに8分の6拍子に聞こえる、と注意されてた)、同じ箇所でも左手にアクセントがあるからといって、右手に楽譜に書いてないアクセントをつけるななど、当たり前だが、技術的に困難な20世紀の曲ではきちんとやるのも大変なことであるが、ピアノじゃない楽器を少々いじる身にも勉強になることばかりである。
最初に言ってた「演奏するときに楽譜の行間を深読みする必要はない。作曲家は楽譜に全てを書き残しているのだから。」というのもいいセリフだ。

5日にプロコフィエフの分まとめて再放送があるので、また録画して見よう。


2005年12月25日

朝比奈&NHK交響楽団の演奏@N響アワー

N響アワー」のゲストの回ということで、実相寺昭雄が出ていた。尊敬するマエストロということもあり、交響曲第4番の第4楽章が取り上げられていた。使用楽譜はハース版(1878/80)。
2000年11月の朝比奈最晩年の演奏ということもあり、指揮棒をコントロールできないので、指揮者とオーケストラが「お見合い」状態になってしまい、コンサートマスター(山口裕之氏)が振りをいつもより大きくして崩壊を防ぐのがやっとという状態。
最晩年まで音楽活動に情熱を燃やしていた心意気は尊敬し、人間的には好人物であったと思われるが、最晩年は神格化されすぎ、また周囲が本人の体調を配慮せず働かせすぎであったのではないか。

収斂したテンポで統一された音楽で、「21世紀の朝比奈」を実感させてくれる偉大な演奏

という謳い文句(CDの)がむなしい。

2005年12月05日

ラトルの「英雄の生涯」CDと映像

9月にご当地に行ってベルリン・フィル定期で聴いた「英雄の生涯」は同時に録音され、また11月の演奏旅行の曲目として取り上げられ、東京での演奏はBSフジで12月4日に放送された。
簡単な感想を。


○「英雄の生涯」
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」、組曲「町人貴族」
グイ・ブラウンシュタイン(ソロ・ヴァイオリン)
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

アジアツアーの行き先での先行発売で、演奏時間が80分を超えるため、香港盤は1枚組みだが、日本盤は再生の安定性を重視し2枚組みということらしい。あとタワーレコードで買ったのので、「独占インタビュー小冊子(CDジャケット風)」というのが付いてきた。
「英雄の生涯」の演奏そのものについての印象は大きく変わることはないが、CDで改めて聴くと「英雄の戦い」が終わったあとの室内楽的部分が特にいい。(特に中声部。)
「町人貴族」も諧謔的演出の上手さ、奏者の名人芸が楽しい。

○BSフジ開局5周年記念 TDK創立70周年スペシャル
サー・サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 2005年 来日公演

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
アデス:アサイラ
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40
(2005年11月21日東京サントリーホールにて収録)

こちらは録音のひどさにびっくり。CMのほうが音量レベルが高いのは予想していたが、音質もCMのほうがずっと聴き映えする。
また、前半と後半の間にCMが入るとは思っていたが、「英雄の生涯」が終わってのアンコール(ドヴォジャーク「スラブ舞曲」)との間にフェードアウトもさせず、音をぶっちぎっていきなりコマーシャルが入るのも閉口。
NHKと違ったカメラワークが見れたことがせめてもの慰めか。
「アサイラ」は実演で聴いたらもっと楽しそう。

2005年08月15日

N響アワーで動くアンセルメを見る(8月14日)

N響アワーも8月の恒例行事、池辺先生お出かけシリーズで前回の東京芸術大学に引き続き、今回は
「ふたつの檜舞台 ~日比谷公会堂と東京文化会館~ 」ということで、いまだに進行がぎこちない奈々子タンと日比谷公会堂と東京文化会館にお出かけである。
日比谷公会堂でコンサートを聴いた経験もあるが、改めて見ると、よくあんな狭いところで演奏会をやっていたものだとびっくり。
何回か見たことのあるマーラーの「千人の交響曲」の日本初演の練習風景のニュース映画(「日本ニュース」)もチラッと出てきたが、あの曲をあんな狭い場所でやったものだと改めて驚くとともに、当時の情熱を思う。たまたま、土曜日深夜NHKBShiでゲルギエフ指揮ロッテルダムフィルの演奏をやってたのをあまり気合をいれずに見たが、演奏環境はえらい違いだ(劣悪なほうが情熱で勝っていた、とは思わないが)。

ショスタコーヴィチ交響曲第11番(第4楽章)を必死の形相で振る某指揮者(元・指揮研究員)にちょっと死相が出ていて、さすがお盆だと感心(ウソ)。
何よりも、1964年のアンセルメ指揮によるブラームス交響曲第3番第3楽章が写り、動くアンセルメが見られたのでちょっとハイになる。

私の父は、昔々、「レコード芸術」を購読しステレオLPを購入し(当時、LP1枚は収入対比でとんでもない金額だ)、その後子供という邪魔物できたのでそういう道から足を洗った人間なので、ドイツ物はワルター&コロンビア響、フランス物、近代物などはアンセルメ&スイスロマンドのステレオLPをそろえ、ワルター、アンセルメという名は子供時代を思い出させる固有名詞なのである。
アンセルメはドイツ物も録音し、ベートーヴェン、ブラームス交響曲全集は当時はレコード雑誌の推薦扱いだったが、今ではすっかり珍盤扱いである。

2005年07月11日

ベッドで録画を見る

出張から帰り土日コンサートに行ったり、野暮用をかたずける予定だったのだが、金曜日深夜から体調が悪くなり、土日はめずらしく食事もとれずベッドの上でのヒキコモリ生活。
たまったテレビの録画などを見る。

[その1]
○N響演奏会(第1545回 2005年6月 A定期公演、7月2日)
ブラームス: ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調
フランク: 交響詩「のろわれた狩人」
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」 [1919年版]
ネルソン・フレーレ (ピアノ(ブラームス))
アンドレイ・ボレイコ指揮、NHK交響楽団

フレーレも1944年生まれだから、もう還暦ということになるわけで、風貌はオジさんというよりおじいさん。
演奏も悠々泰然、叙情性優先という感じで、この曲を書いた若いブラームスの疾風怒濤のパッションを全面に出してないとヤダという向きには受け入れにくい演奏。キラキラしたパッセージはさすがだと思う。
フランクの曲は恥ずかしながら、この曲だという意識をもって聴くのは初めてだが、やたら金管楽器が咆哮していて金管奏者は大変だと思うが、この曲について言えば目立つ破綻もなく安心して聴けた。曲自体は「?」。金管楽器をやる人ならやってみたい人もいるだろう。
火の鳥は、デュトア効果の遺産もあってか、曲に素直に浸れた。

[その2]
○N響演奏会(第1544回 6月B定期公演、6月22日, サントリーホール)
ボロディン: 歌劇「イーゴリ公」 から「ダッタン人の踊り」
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
タン・ドゥン:「ザ・マップ」―チェロとビデオとオーケストラのための協奏曲 [2003]

アンシ・カルットゥネン (チェロ、3曲目)
タン・ドゥン指揮、NHK交響楽団

前半は有名曲を入れないと、お客が来てくれないからだろうが、自作以外の指揮に習熟しているとは思えないタン・ドゥンに振らせる意味があったのか疑問。しかも、音楽に詳しくない人にもわかってしまうような傷があって(特に「ロミオとジュリエット」のフルート)、少々不安になる。

「マップ」は、演奏に先立ち作曲家からトークがあった。
主旨は、
・中国湖南省に生まれ、その原風景を懐かしくそして大切な意識として持っている。
・そうした中国の地方独特の伝統や風習が失われていくことをさびしく思っている。
・だからこそ、地方文化や伝統と現代の西洋音楽を融合させて作品として残し、古来からの文化を次世代に伝えたかった。
・伝達手段として伝統楽器の演奏をビデオで上映し融合する手法を選んだ。
というようなこと。
カルットゥネンの上手さは楽しめたし、ビデオで上演された少数民族の画像はとても興味深かった(というかこれだけで見たい!)、曲としては少々アイディア倒れのところも。ビデオとチェロ独奏の「競演」は、やっぱり不自然。音楽そのもので勝負してほしい。

[その3]
○N響アワー - 名演奏プレイバック ~パリの知性・ロンドンの気品  ふたりの女性ピアニスト -
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271
 アンヌ・ケフェレック(ピアノ)、アラン・ギルバート指揮(1998年4月23日)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466から 第2、第3楽章
 イモジェン・クーパー(ピアノ)、ホルスト・シュタイン指揮(993年11月11日)

ケフェレックの先生もブレンデルだったとは池辺先生の話で、初めて知った。
演奏として文句なしに楽しめたのはケフェレック。音色、リズム、テンポなど計算し尽くされているが、計算されていないようにきこえるのはさすが。「モーツァルト弾き」とされている女流ピアニストには、単にテクニック不足を言い換えただけじゃないかというのもいるが、ケフェレックの場合は美しいだけでなく強靭でもある。
芋じゅん、じゃなくてクーパーはブラームス寄りというか「重い」演奏。曲がK.466ということと、指揮者の影響もあるのだろうが。

2005年06月20日

N響、禿強化月間(なわけない)

テレビでやってたN響の5月定期演奏会(といっても6月に入っているもののある)を、何回か立て続けに見る。
指揮者はパーヴォ・ヤルヴィ、A定期のヒラリー・ハーンを除き、ソリストも皆、立派な禿頭で、「禿強化月間」というつまらないフレーズが頭に浮かんでしまっただけ。
ちなみに、パーヴォはショスタコーヴィチの交響曲が終わると拍手に応えながら、ない髪の毛をかきあげていた(!)。

[A定期]
・トゥール:アディトゥス [ 2000/2002改訂 ]
・プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 (ピアノ:アレクサンドル・トラーゼ)
・シューマン:交響曲第3番「ライン」

[B定期]
・ペルト:フラトレス [1977/1991 改訂]
・プロコフィエフ:ヴァイオリンバイオリン協奏曲第1番 (ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

[C定期]
・シューマン:チェロ協奏曲(チェロ:トルルス・モルク)
・ラフマニノフ:交響曲第2番

コンチェルトはどれも聴きものであったと思う。ややアイメークが濃くなったヒラリー嬢は、左手も右手も絶妙なコントロールで、まさに「才気煥発」というのがぴったりな演奏家でもある。
禿1号じゃなくてモルクはエンターティメント性が薄い芸風で、あまり日本では人気ではないようなのが残念だが、内向的な曲想でかつ音程の跳躍が多い(←正確な使い方でないけど言わんとすることをわかっていただければ)など何気に技術的に難しいところてんこもりの曲に誠実に対峙し、よい結果を生んでいたと思う。
禿2号トラーゼの演奏は、この曲はもっと端正で精密なほうがいいと思う人もあろうが、こういう熱演もアリだと思う。(映像を見てるとちょっと笑ってしまうが。)
交響曲でいちばん楽しめたのは、実は大の苦手なラフマニノフ。シューマンも管楽器に不満がないわけではないが、佳演。ショスタコーヴィチは何か工夫をするとあざとさ、曲に内在するわざとらしさみたいなものが出てきてしまう(要は、この曲もあまり好きじゃなかったりする)。

2005年05月21日

NHK「人間ドキュメント」 「チューバ 一吹きにかける 38年ぶりの奏者交代」

クラシック音楽関連番組ではある。NHKの振れ込みはこれ。

オーケストラで最も低い音を任されるチューバ。安定した職を捨て、NHK交響楽団への入団をめざす池田幸広さん(29)は、ベテラン奏者の引退で38年ぶりに行われたオーディションを突破し、仮入団を果たす。一年間の試用期間を経て果たして正団員となれるのか。一吹きにかける若きチューバ奏者の挑戦を追った。

NHK交響楽団で風貌も相俟って名物でもあった多戸幾久三氏が定年退職され、それに先立ち昨年4月オーディションが実施されたわけだが、楽器の性格上しょうがないのではあるが、38年ぶりのオーディションに多数の応募、それに受かっても1年間は試用期間というのはキツい世界ではある。
生活が保証されているわけでもなく、夫人は小さい子供を抱えただ見守るしかないというのも胸をつかれた。(カメラを回しておいて、正採用にならなかったらそれでも放送したのだろうか。)
また、試用期間中に少しでもオーケストラで吹くことのノウハウを伝授したいという多戸氏の思いも画面から伝わってきた。チューバが2本出てくる「アルプス交響曲」「ツァラトストラはこう語った」で、多戸氏が池田氏にどっちのパートを吹いてもらおうか悩むところもそうだし、「新世界より」の第4楽章(言うまでもないがチューバは第2楽章に8小節出番があるだけ)で、「ここのトロンボーンパートも吹いてみろ」と多戸氏が池田氏にアドバイスするが、一生懸命教える多戸氏の表情、でも結局実際にはできなかった池田氏の表情をカメラはとらえていた。(これは、ブラームス交響曲第1番第4楽章のホルンの追加みたいに一般的なのだろうか。)
番組としては多戸氏のみに焦点を当てる、あるいは池田氏のみに焦点を当てるのもあろうが、「伝える」ということをみせるのなら2人に焦点を当てるというつくりでよかったのではないかと思う。(最初のナレーションの「カラヤンや小澤征爾も指揮台に立ち」というのは、画面に向かって突っ込んでしまったが。)

2005年04月17日

ハイビジョン特集「音 おと よみがえるタケミツ・作曲家・武満徹のすべて」

4月13日NHKハイビジョン放送のものを録画したのを見る。
生涯を追う形で作曲家の家族、知人、音楽生活での仲間、関係者のインタビュー、資料などで綴るスタイル。ちょうど「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」の東京公演に合わせた放映日程のようで、「マイ・ウェイ…」のリハーサル風景も紹介されていた。

特に興味深かったのは、作曲家となる前の京華学園男子部の同級生、先生の証言と同じ作曲家としての池辺晋一郎のインタビュー。
前者はピアノも弾けないのに曲を書いてしまったりとか、ピアノが弾きたいがために女子部に潜り込む、学徒動員の生活の中での思いなどのエピソードを通じて、作曲家を志すまでの歩みが浮かび上がってくる。また、後者は実際に譜面を前にして、作曲のプロセスの解明、またアカデミックな教育を受けた作曲家ならこう書くところを、武満はこう書いている(並行8度を使う、メロディーに先だって和音がその音を用意するなど)という分析が面白かった。

見てないのに言うのはルール違反だが、「マイ・ウェイ…」は西洋人が思う「東洋的」「日本的」なるものをステージの形にしたようなところがあり、行こうかどうか迷っていたが日程の関係もあり、結局行かなかった。また元来舞台作品でないものを舞台化するのはちょっと無理があるのではないか。
番組でも演出に対し「これじゃ演奏できない」と言う声があがりもめているところが写されていたが、琵琶の田中之雄氏のサイトでのベルリン公演のレポートを見るとステージの上で演奏家も「演技」させられてしまうのはやはり大変そうである。石岡瑛子の衣装など確かに斬新、アイディアが豊富ではあるが、死語の世界に入った「前衛」という言葉を思い出させるというか、20世紀が全盛期の人であったという感は否めない。ステージで演じるための演奏を録音しての舞台作品だったらまだよかったのか。
あと、晩年の武満作品は自分は苦手で、質の高い「タケミツサウンド」ではあるが、「タケミツ調」のなぞり化していたのではという疑問も持っていたりする。(あーあ、言っちゃった。)「系図(ファミリー・ツリー)」がまさにその典型。その先の世界を展開させる前に、この大作曲家が世を去ってしまったのが残念でもある。

2005年04月10日

桂冠指揮者(N響アワー4/10)

「N響アワー」新司会者(大河内奈々子嬢)向けなのか、「N響と3人のマエストロ」というタイトルで、現音楽監督(あのおっさん)、名誉音楽監督(デュトワ)、桂冠名誉指揮者(サヴァリッシュ)について紹介。
池辺先生は新司会者の緊張をほぐそうということなのか、駄洒落をふんだんに散りばめておられた。
・桂冠といってもお巡りさんじゃないですよ。
・(アシュケナージの自宅の和室風部屋を紹介しながら)ここでステーキとか焼いたら素敵
・「愛」が動詞になると冷たくなってアイスになる。

今日は駄洒落もさることながら、「桂冠」を説明するための捨て身のパフォーマンスに感動した。
keikan1.jpg
(頭に載っているのが「桂冠」。)

2005年04月03日

N響アワー司会者交代

駄洒落の殿堂「N響アワー」の司会者が交代。
もちろん、池辺先生ではなく、釈尊会会長夫人となった若村麻由美タンから大河内奈々子にである。
(本題とは関係ないが、若村麻由美はこれもなくなったら事実上引退になるのか。)

サブタイトルも「クラシックの扉を開こう」で、奈々子嬢はついでに駄洒落の扉も開けてしまったようだ。(シカトしないできちんと反応していた。)
奈々子嬢は特にクラシック音楽に関心があるわけでもなく、知っているヴァイオリニストは高嶋ちさ子くらいのようだが、NHKも麻由美タンを早く替えたいというのもあったのだろうな。
しかし、次の演奏では扉をあけるのに少々刺激が強すぎたのでは。
---------
・メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲 ホ短調 
(バイオリン)ジャニーヌ・ヤンセン
(指揮)ウラディーミル・アシュケナージ
・モーツァルト:交響曲第25番
(指揮)ジェームズ・ジャッド
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 作品56a」
(指揮)ジャナンドレア・ノセダ
----------
メンデルスゾーンは音楽監督の伴奏がへっぽこなのと、ヤンセンのヴァイオリンがこの曲には表情きつすぎ(上手いとは思うが)。演奏の内容とは関係ないが、ヤンセンは美人系で売りたいみたいだが、ガタイがよすぎで少なくとも日本においてはその売りこみ作戦は失敗しそうな予感。ガタイがいいので、音がしっかり出ているのはいいと思った。
モーツァルトはまあ普通の演奏だが、ブラームスはノセダはいい指揮者だと思うが残念ながら木管、金管楽器の一部の演奏がちょっとお粗末。
奈々子嬢のトラウマにならないことを祈る。

2005年03月13日

N響アワー(3/13)で「ピレシュ」のモーツァルトを聴く

N響アワーを見たが、今回は駄洒落なし。
内容はこれ。

- のびやかに繊細に~ピレシュのモーツァルト -

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414」
指揮:岩城宏之(2、3楽章)
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453」
指揮:ブロムシュテット
(ピアノ)マリア・ジョアン・ピレシュ
                  (管弦楽)NHK交響楽団

K.414が1983年、K.453のほうが1993年ということで、ピリス(どっちが正しいのかわからないので、例が多い方で表記)の髪型がソバージュ(あのころなら「カーリーヘア」の方が適当か)→ナチュラルなまとめ髪に変化しているのが時代を感じさせる。今のピリスはさらに自然派方向に行っちゃってて、麻とか綿の天然素材のステージ衣装とは思えないドレスを愛用しているようだ。(あ、品のいい知的でおしゃれなババで、嫌いじゃないっすが。)

肝心の演奏のほうだが、過日放映した「スーパーレッスン」では、いろいろ生徒に考えさせるのはいいけど、生徒は(゚Д゚)ハァ?じゃないのか、そこまで「重たく」思いを込めて弾くものなのかと思った瞬間もあったが、この演奏は考えていることが水面の下の水かきで表面に現れるのは涼しい顔(変な例えでスマンです)的仕上がりになっていて、いい曲だと素直に浸ることができるものであった。
ちょっと仕草がへんてこなブロムシュテットの指揮も、曲そのものに浸らせてくれていい。

2005年03月06日

「N響アワー」における池辺先生の大胆発言について

「N響アワー」を見る。「ホルン&トランペット~首席奏者競演」というテーマで、先日のハイドンのトランペット協奏曲(関山幸広(Tp)、ジャッド指揮)、シェックのホルン協奏曲(松崎裕(Hr)、ノセダ指揮)、とR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」の抜粋(アシュケナージ指揮)をやっていた。

衝撃的だったのは、最初の関山氏の紹介で池辺先生が「独特なヘアスタイルをしてますが」と言ったことである。
日本中で228人(推定)が、テレビに向かって「お前がいうな」と叫んだだろう。
願わくば、教祖妻・若村麻由美様にも「先生のヘアスタイルはいかがなんでしょう」と突っ込んでほしかったところである。

演奏の方はハイドン:ソロは予想していたよりは安定していた、伴奏は文句なし、シェック:ホルン吹きの間では有名らしいが、晦渋で正直曲がよくわからん。
「ツァラ」は管楽器が活躍する曲ということと、先般定年を迎え退団されたチューバの多戸幾久三氏(この方も「独特なヘアスタイル」ですね)の最後の出演ということで抜粋を放送。
昔々某大学のオーケストラで練習を見ていただいたとき、その風貌とともに、チャイコフスキーの交響曲第4番の第4楽章で「おれこの曲大嫌いなんだ。おもちゃのサルみたいにシンバル叩いてバカみたい」という趣旨のことを言われたことが忘れられない。

2005年02月21日

マルタ姐と被害者の集い(ウソ)

20日夜、NHK教育テレビで先日のマルタ・アルゲリッチ姐たちによる「グルダを楽しく思い出す会」をやっているので見る。

モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲
(ピアノ)マルタ・アルゲリッチ、パウル・グルダ、リコ・グルダ
グルダ:「チェロ協奏曲」
(チェロ)ゴーティエ・カプソン
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 二短調 K.466
(ピアノ)マルタ・アルゲリッチ
ベートーヴェン:ピアノ、バイオリンとチェロのための三重協奏曲から 第3楽章(アンコール)
(ピアノ)マルタ・アルゲリッチ、(ヴァイオリン)ルノー・カプソン、(チェロ)ゴーティエ・カプソン
クリスティアン・アルミンク指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団

「3台ピアノ」はモーツァルトの曲の中では傑作とは言い難いだろうが、3台のピアノが並ぶ様は壮観であり、またカデンツァがグルダを偲ぶにふさわしいこじゃれたつくり(ポピュラー音楽風だったりモーツァルトのピアノ協奏曲K.467からの引用があったり)で、楽しめるものである。

グルダのチェロ協奏曲は「楽しい」というべきか、「くだらん」というべきか大変微妙な曲で、グルダが真面目に作った曲なのか、人をからかって作ったのかもわからん。
ロック風とモーツァルトのパクリが交差する第1楽章、オーストリア民謡みたいな第2楽章、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲のカデンツァのパクリみたいな第3楽章、昔の舞曲みたいな第4楽章、運動会で流れている行進曲みたいな第5楽章という構成。管楽器、ベース、ギター、ドラムスでPAも使用しているが、競演する新日の方々もノリノリな人と、他方「え、こんなのいいのか」と恐る恐る演奏している人ような人がみられるのもこの曲の微妙さを物語っていよう。
実は、自分はこの曲の初演者ハインリッヒ・シフ(チェロ)、グルダの指揮によるCD(Amadeo)を持っているのだが、チェロを弾く人間でなければ持っていないだろう。無駄に(?)超絶技巧を発揮させられたチェリストにはお疲れといいたい。

メインのモーツァルトのK.466はマルタ姐さんいきなり弾き始めて、楽章間はほぼアタッカ、終わってもトイレに行きたかったわけじゃあるまいだろうが余韻が消えないうちに立ち上がるわで、老いても陳腐な表現だが「猛女」ぶりは健在。結構ルバートもかけているのがモーツァルトのスタイルとしてどうかという議論はあろうが、彼女ならではの世界であることは間違いない。あと、アルミンクの指揮は秀逸。
アンコールの「三重協奏曲」、これまたこの大作曲家でわざわざ聴かなければいけない曲とは思えないのでが、顔見世には便利な曲なのだろう。ソリストの中では一番楽なピアノに、若い男子2人が必死でご奉仕しているのが泣けた。
BSではこのコンサート全部放送するそうで、ルノー・カプソンのソロや、モーツァルトの交響曲第34番も聴けるので楽しみ。

2005年02月12日

コバケンサンバもとい「パッサカリア」

雑務を処理しつつ、溜まっていたNHK交響楽団定期演奏会の録画を見る。
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第1532回 2005年1月C定期
小林研一郎:パッサカリア
武満徹: ウォーター・ドリーミング (1987)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
フルート : エミリー・バイノン (武満)
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
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いやはや、コバケン先生の「パッサカリア」なる珍曲。演奏させるのに団員に特別手当を出してもよし。
日蘭交流400周年を記念しての曲だそうで、「ヨーロッパの主題」と「日本の主題」が代わりばんこに出てくるのだが、どちらの主題も「日本人が妄想したヨーロッパ」と「欧州人が妄想した日本」(フジヤマ、ゲイシャとかって感じ)が代わる代わる登場。
かといって、外山雄三「ラプソディー」みたいに凄く盛り上がって演奏者、聴き手にカタルシスをもたらすかというと、そうでもなく不完全燃焼で終わるように自分には思える。
こういう趣向で曲を作るにしても、25分もイラネ。曲想をしぼった方が演奏効果も上がったと思う。極論すれば「夏祭り」だけを「コバケンサンバ」としてくれればよかったような...。
コバケン先生は芸大作曲科に入られたのだが、

しかし夢を追い続け、芸大の作曲科に入った僕を待ち受けていたのは、当時の現代音楽のカオスの世界であった。電子音楽やチャンスオペレーション等、無機質な音楽が横行し、精神的な面からのものは皆無といえる時代だった。そこから逃れるように、いつしか指揮の道を選んでいる自分がいた。しかし作曲の意欲が失せていたのではなかった。

だそうで(http://www.kapelle.jp/classic/archive/archive200108.htmlから引用)、当時は指揮科はなかったんだし、どっちにしたって指揮者になる運命だったんではという気もするが、だからってこんな曲を書かんでもと思う(もちろん調性音楽がイカンという意味ではない)。
また、アシュケナージはなぜこの曲を取り上げたのか。うがった見方すれば、2人とも同じレーベル所属だし...とどんどん黒くなっていく。
この怒りのため、他の2曲はどうでもよくなってしまった。

2005年01月11日

N響アワー(1/9)

ここに書いているカテゴリーがテレビばかりになっているのが、困ったものだと思いつつ、池辺先生駄洒落初めということで、記録。

- ストラヴィンスキーに魅せられて シャルル・デュトワ -
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」(1911年版)
(ピアノ)横山 幸雄 ストラヴィンスキー:「交響曲 ハ調」第1楽章」
(指揮)シャルル・デュトワ

NHKのサイトでは

デュトワがストラヴィンスキーの音楽と出会ったのは12歳のとき。当時まだ難しいスコアは満足に読めなかったというデュトワに、「春の祭典」は大きな衝撃を与えた。それ以後、ストラヴィンスキーを勉強しつづけたことが、彼の人生に様々な転機を与えたのである。

と書かれていて、番組でもそのエピソードが紹介されていたが、本当だったら本人からインタビューがほしかったところではある。
演奏は細かいあら捜しをしようと思えばできるが、総じてオーケストラがよくコントロールされ(1911年版であることを考えれば加点)ソロも大きな破綻はなくよい演奏だったと思う。
先生の初駄洒落は、「それで今回は春の祭典。ったって春にやる採点じゃないよ、はははは」。

このあと、「芸術劇場」では去年のウィーンフィルの来日公演とベルリンフィルの「ヨーロッパコンサート」の一部があったのだが、これを見ていたのは旅行先のホテルで途中で寝てしまった。orz
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なお、この他にも昨年12月の記録もアップしておりますので申し添えます。

2005年01月04日

年末年始のクラシック番組

年末年始はじっくりCDも聴けず、テレビをちょいちょい見ただけだが、簡単な感想をば。

N響第九演奏会
なぜペンデレツキを指揮者として呼んだのかが、そもそも疑問。小細工しなくても、「通る」曲ではあるが、だからといって全体のコントロールをする能力は必要だろう。やる気ない合唱にもイライラ。

ベルリンフィル・ジルヴェスターコンサート(NHKBS2)
なぜラトルが「カルミナ・ブラーナ」なのかはわからないが、大熱演大迫力ではありました。冒頭にやったベートーヴェンの序曲「レオノーレ第3番」はイイヨイイヨ。アンコールが「メサイア」の「ハレルヤコーラス」で、打楽器ドンドン大オーケストラのグーセンス版というのはウケた。

ベルリンフィル来日公演(2004年11月)(BSfuji)
これは別の日の実演を聴きにいっているので演奏の内容は割愛するが、普段、クラシック番組の収録をしていない放送局がやると、カメラワークが変化があまりなく、たまに変わると意味不明だったりして(ブラームスの交響曲第2番の第1楽章のおしまいへんのホルンソロで、ソーセージのようなドールの指がアップになってるのには笑った)。
番組が終わると、音がフェードアウトしないでブチッと切れたのも勘弁してくれ。

ウィーンフィル/ニューイヤーコンサート(NHK教育、BS2、BShi)
今年はマゼールだったが、それよりもインド洋大津波の犠牲者に対する哀悼の意味でお約束「ラデツキーコンサート」が自粛された年として記憶されるだろう。
マゼールの指揮は期待ほど(?)あざとくなく、案外「普通」だったが、いくら神童としてブイブイいわせた過去があったとしても、ヴァイオリンを弾くのはもうやめたほうがいいと思う。マジで。
毎度、生中継だと意味不明なバレエや風景画像が出てくるのだが、これはDVDの売上対策ということなのだろうか。今回の象印賞は(←たとえが古すぎ)、新機軸のホールの中をあちこち走り回り、指揮真似までするパントマイムと、リンゴのお菓子を作ってみせる映像を選びたい。

2004年12月26日

N響アワー(12/26)

今年最後の、駄洒落アワー。ゲストを呼ぶ回で、内容はこれ。
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- 音楽は心の糧~古美術鑑定家・中島誠之助 -
ベートーヴェン:「エグモント」序曲(指揮)ホルスト・シュタイン
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」(指揮)シャルル・デュトワ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466から第1楽章(ピアノ)井上 直幸(指揮)十束 尚宏
ジェームズ・マクミラン:「イゾベル・ゴーディーの告白(冒頭部分のみ)」 (指揮)ジェームズ・マクミラン
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「なんても鑑定団」のオサーンで、若いころ、熱心に聴いていた時代があったということはわかった。
中島氏が、スタジオに持参したワルター指揮コロムビア交響楽団のベートーヴェン交響曲全集のLPボックス(初出)が出されキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!と声をあげてしまった。我が家にも昔々父親が買ったこれがあるのだ。外箱付きで布張りの立派な箱に入って、LPのほか「ベートーヴェン読本」という豪華解説書と、ワルターのリハーサルを収めたLPがついている。
さらに「田園」が馬鹿売れして、ワルターの肉声によるメッセージを収めた「親愛なる日本の友へ」という17センチLPまで出してきて、キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!。これも、我が家にあるはずだが行方不明。
ゲストの回は演奏をどうこういうのは野暮だが、今では聴くことのできない重心の重い「エグモント」は特記しておくべきだろう。
池辺先生の駄洒落納めは、「一人で来てもツー」、「夜聴いても荘重」だったと思う。

齋藤先生亡き後・・・・

齋藤秀雄(もう歴史上の人物だと思うので敬称は略)が亡くなって、今年でもう30年だそうだ。
その関係で、NHKBShiで関連番組をやっていたので見る。

歌え! 全身で歌え!証言ドキュメント  教育者 齋藤秀雄の真実
12月25日(土)   09:30 ~ 11:00 
この番組の謳い文句は

クラシック音楽教育に生涯を捧げた齋藤秀雄が亡くなってことしで30年になる。この先生がいなければ、こんなにたくさんの日本人音楽家が世界を舞台に活躍することはなかっただろう。 番組では、教育者としての齋藤秀雄の生涯の記録、小澤征爾をはじめとする教え子たちが語る師の思い出、それにサイトウ・キネン・オーケストラの活動の模様も交え、戦後日本のクラシック音楽界に希代の教育者が遺したものを検証してゆく。

となっているのだが、「検証」というより齋藤先生マンセー番組になってたような。(ひとつには昔から齋藤秀雄、小澤征爾およびその関係者を取り上げてきたテレビマンユニオン製作というのもあるのか。)
チェロを弾く人間、あるいは齋藤秀雄の音楽教育に関心のある人間だったら知ってるネタばかり(=関係書物で出てきた話ばかり)で、新ネタとしては指揮者・飯守泰次郎氏による「演奏解釈」の授業の再現くらいか。これは、演奏解釈という体系化に向かないものをどう伝達するかという点でなかなか興味深かった。
桐朋出身・関係の音楽家の方々には、へっぽこアマチュアである自分も大変世話になっているのでどう書けばいいのか難しいのだが、齋藤秀雄の教育をどう発展させるかということの道筋が見えていないような気もする。
ただ、「暮らしの手帳」もそうだし、桐朋学園の音楽教育も、偉大なしかもキャラが濃すぎである創始者の後をどう維持、発展させていくかは大変だとも思う。

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2004年12月23日

「第73回日本音楽コンクール本選会」

恒例の年中行事の地上波での放送(部門別のはすでにBSで放送済み。チェロがある年は部門別まで見るが、今年はないのでそっちはパス)。
以前は「文化の日」に放送していたが、何年か前に「天皇誕生日」にかわり、番組のつくりも参加者の人となりの紹介や、戦いの裏のドラマの紹介にフォーカスを当てていたが、今年は淡々と演奏を紹介し部門ごとの審査委員長のコメントが付くというスタイルになった。
アイドル性のある参加者が見つからない(せいぜい、ヴァイオリン(女子)、ピアノ部門(男子)の各優勝者くらい?)からか。
ざっと見ての、無責任な非音楽的なことにも言及する感想。
声楽→よくわからん。
作曲→創作界の閉塞感を示す(50歳のオサーンはオサーンの世代らしい曲、若いおねえさんは最近の若手によくある耳あたりがいいだけの曲、要はつまらん)。
フルート→1位の2人とも上手いが、これでそれぞれルックスがもう少し見栄えがすれば…。.
オーボエ→1位のおねえさんの服がヤンキー臭かった(注:全部日本人作品を演奏したのでということで、頭にかんざしやら、腰に水引きをイメージしたらしい紐が付いているのだが、もともと着ている白のドレスがレースやら織りで細かい柄があり、カーテン巻いているみたいで、一言で言えば「装飾過剰」)。
ピアノ→それぞれ上手かったと思うが、1位はラフマニノフを豪快に弾いたということが結果につながったか。音楽と関係ないが、学校でモテモテだろうなこの兄ちゃん。
ヴァイオリン→ピアノ伴奏でサン=サーンスの第3番のコンチェルトを聴かされるのは、苦しい(冒頭の節がこぶしが入った演歌チック)。3位の高校生がもう1つの課題曲であるプロコフィエフの協奏曲第2番を選んだのは賢明であった。

なお、審査結果については毎日新聞のサイトのこの記事を見ると、もめた部門もあったようだが、参加規定や課題曲のルールを見ると(課題曲についてはここここ)、AorB方式から何でもオッケー方式までいろいろあるのだが、曲が少ないオーボエ部門がご自由にというのはわかるが、膨大なレパートリーがあるピアノが事実上自由(泰西名曲から選ぶ)というのもよくわからない。
もちろん同じ曲を演奏させ競わせることが未来の名演奏家を発掘するためにいい方法とは思えないが、もうちょっと何か工夫はないんでしょか。

2004年12月20日

そしてまた日曜の夜もテレビ

NHK海老ジョンイルお詫び番組は今更見てもしょうがないので、N響アワーと、見る気がなかったのについ続けて「NHK音楽祭」も見てしまう。

「N響アワー」の内容はこれ。

- 池辺晋一郎の音楽百科           ~オーケストラは変貌(ぼう)する -
・ハイドン:交響曲 第86番 ニ長調から第3楽章、(指揮)ヘルベルト・ブロムシュテット
・ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品55“英雄”から第1楽章、(指揮)スタニフラフ・スクロヴァチェフスキ
・ベルリオーズ:“レクイエム”から“不思議なラッパの音”、(合唱)国立音楽大学合唱団、(指揮)シャルル・デュトワ
・プロコフィエフ:古典交響曲 ニ長調 作品25、(指揮)シャルル・デュトワ

こないだまでの音楽監督と名誉指揮者に人気客演指揮者で、プロコフィエフ以外は曲の一部であったが、聴きごたえのある演奏であった。
なお、今回も池辺先生の駄洒落はナシ。先生、次回は年末だから頼みますよ。

そして、「NHK音楽祭」ハイライトはこれ。

・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
(管弦楽)ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団、(指揮)マリス・ヤンソンス
・ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」
(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)ズデネック・マカール

どっちも未見だったが、前者は作曲者が指定したfffff(「フォルテ」5つ)のように、「大」の字が5つくらいついてしまう嫌いな曲だが、オーケストラの上手さは文句ナシ。(本当は同じ日にやった「ペトルーシュカ」の方を見たかったのだが。いくら楽譜に指示があるからといっても、波打つようにテンポを揺らす音楽は生理的にダメじゃ。)
後者のほうは、指揮者の音楽作り自体にはあまり特徴はないが、日本の音楽生活ではこの曲の合唱を上手とはいえないアマチュアのコーラスを聴かされることが多いので(例えば、某公共放送交響楽団の第九公演に毎年出てくる、某音大の学生の合唱は聴くに耐えない。海老ジョンイル君もこういうところから改革をしてくれ(ウソ))、プラハ・フィルハーモニー合唱団の合唱は天国の声のように聞こえた。

2004年12月19日

テレビ漬けの土曜の夜

土曜日は所属オケのパート練習が午後だったので飲まずに帰宅。うたた寝した後、深夜までテレビを見てしまう。

プロムス2004~ラスト・ナイト・コンサート
主な曲目はこんなの。

- 第1部 -
・ドヴォルザーク:序曲“謝肉祭”
・R.シュトラウス・ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調
・ヴォーン・ウィリアムズ“5つの神秘的な歌”から
ほか
 - 第2部 -
・マクスウェル・デーヴィス:「オウハイ音楽祭序曲」
・プッチーニ:歌劇“蝶々夫人”から“ハミング・コーラス”
・ロジャーズ:ミュージカル“オクラホマ”から“なんときれいな朝だろう”
・ポーター:ミュージカル“キス・ミー・ケイト”から“独身時代はいずこ”
ほか
(バリトン)トマス・アレン、(オルガン)サイモン・プレストン
(管弦楽)BBC交響楽団、(指揮)レナード・スラットキン   


1週間前、同じスラトキン指揮で2003年のラストナイトを見たのだが、イギリス人って真面目におかしいことをやるところが、いかにもという感じ。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートと同様、コンサートに参加するにあたっての「お約束」があるが、着飾った人もカジュアルなカッコの人も一生懸命。
曲目はどういう基準で選定しているのかよくわからないが、パイアット独奏のR.シュトラウスのホルン協奏曲はすごく上手かった。

○ボストリッジ&内田光子“美しい水車屋の娘”
これは2004年3月来日公演。
ボストリッジが長身痩躯を折りながら表現豊かに歌い、それ輪をかけ、内田光子の雄弁なピアノが伴奏をする。実は最近あまり歌モノが好きじゃないのだが(理由はいろいろあるが割愛)、これはぐいぐいと引き込まれる自分が嫌にならない。難点はドイツ語の発音が明瞭とは言いがたいところだが、大きな問題ではないだろう。

ところで、NHKの番組表を見て今さら気付いたのだが、この歌曲集のタイトルは「水車小屋」じゃなくて「水車屋」というのが普及しつつあるのか。googleで検索すると「美しき水車小屋の娘」「美しい水車小屋の娘」「美しい水車屋の娘」「美しき水車屋」の順序に物件が出てきた。
あと、字幕を見ていたら7曲目の「いらだち」に「クレソンの種」が出てきましたよ。天然のクレソンは小川などに自生しているので、話の舞台としては何の不思議もないが、昔の堀内敬三訳とか何と訳していたのか(手元にないので確認しようがない)。
交響曲の番号だけでなく、こういうのも変わっているのですな。

2004年12月12日

N響アワー(12/12)

今回の中身はこれ。
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- 名指揮者サヴァリッシュ~N響と歩んだ40年 -
ブラームス:交響曲第1番
                  (管弦楽)NHK交響楽団
           (指揮)ウォルフガング・サヴァリッシュ
  ~東京・サントリーホールで録画~
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中身はこの間のサヴァリッシュ指揮の定期演奏会で、書きそびれてしまったが一度BShiで見たのだが、パユ独奏のイベールのフルート協奏曲ばかりに気をとられていたので、もう一度見る。
体調不調が伝えられるサヴァリッシュで、昨年のウィーン・フィルとの来日はキャンセル、今回の来日も椅子に座って指揮ということで、NHKのつけたサブタイトルもそこはかとなく「これで最後」モードであった。
聴く前は、日本のある種のクラヲタが(;´Д`)ハァハァしそうな(注)、 弛緩した巨匠最晩年モードな演奏だったらどうしよう(アダージョのようになった第2楽章は聴きたくない)と心配していたのだが、肉体は自由にならなくともオーケストラのコントロールはきちんとできているようで、ひと安心。ハッタリはないのだが、いい意味での真面目さがこの交響曲にふさわしい。
(注)某巨大匿名掲示板の実況でも、第2,3楽章のテンポが速すぎるとか言っている手合いがいたが、第2楽章の速度指定は「Andante sostenuto」、第3楽章は「Un poco allegretto e grazioso」なのだ。

ぜひ、N響にも普段からこの水準をお願いしたいのと、デュトアとの遺産ばかりでなく、サヴァリッシュとの40年の関係で築かれたものも、新音楽監督でダメダメになっちゃうのかと暗くなるのであった。

2004年11月20日

ドキュメンタリー「フルトヴェングラー没後50年 音楽は愛」

NHKBS2でやったもので、NHKのサイトの能書きはこれ。
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クラシック ドキュメンタリー フルトヴェングラー没後50年 音楽は愛
2004年没後50年を迎えたドイツ人指揮者、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)。
波乱に満ちた彼の生涯と音楽に対する愛情について描いた番組。
ウィルヘルムの未亡人、エリーザベト・フルトヴェングラーの目を通して過去をふりかえり、 彼女の耳を通してフルトヴェングラーの録音を聴く。 音楽の合間にはフルトヴェングラーの肉声のインタビューがはさまれ、 彼の言葉を聴くこともできる。 また、演奏を記録に残すことを嫌った彼の指揮活動を会間見ることができる貴重な映像も収録されている。  
出 演:
エリーザベト (フルトヴェングラー夫人)、アンドレーアス (フルトヴェングラーの息子)
[ 制作: 2004年, パース・メディア (ドイツ) ]
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という能書きに期待して見たのだが、エリーザベト夫人ののろけ話的思い出話と、意図がよく分からない画像が付いたフルトヴェングラーが書いたものの朗読、本人がしゃべった録音が延々と流れるだけ。
何か見たことのない画像とか、エリーザベト夫人から新ネタでも出てこないかと期待したが、そういうのもなかった。(せっかくだから、亡命秘話とか戦後の生活の秘話とかききたかった。)
あとこれでもかと出てきた、フルトヴェングラー作曲作品(ピアノ曲、歌曲、ヴァイオリンソナタなど)は、タルい曲としかいいようがない。本人が「ボク作曲家だもん」といくら思い込んでても、指揮者フルトヴェングラーと作曲家フルトヴェングラーはレベル違いすぎ。(といいつつ、なぜか交響曲第2番のスコアを持っている自分であった。)
フルトヴェングラーがエロ親爺であることは、あらためて確認させていただきました。また、息子は親爺さんと違って白髪なもののちゃんと毛が残っているのが新発見であった。

2004年11月14日

久しぶりのN響アワー

特別番組や新潟県中越地震の影響で久しぶりの放送だ。

アシュケナージ音楽監督就任の定期演奏会ということで、これ。
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テレビ番組2つ-アルゲリッチ、ベルリン・フィル特番

今日(14日)は出かけようと思っていたが、のどが痛く風邪だったらヤバいということで、外出をやめて1日中家にいた。
録画しておいたTV番組2つを見た。

クラシック ドキュメンタリー「マルタ・アルゲリッチの音楽夜話」("MARTHA ARGERICH Evening Talks")(NHKBS2)NHKのサイトによると
「アルゼンチン出身の天才ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが自分自身の半生や、音楽への情熱を語る。 友人のインタビューや貴重な映像を織り交ぜ、彼女の音楽家としての生きざまを描く。2002年にはイタリア賞を受賞 (テレビ・パフォーミング・アーツ部門)、 その他数々の賞に輝いた話題の作品である。 」
ということで、もちろん全体の演出はあるが、ランダムに彼女がインタビュアーに向かって音楽、演奏、作曲家に対する考え、過去の思い出を語り、それに過去の映像を散りばめるという作りになっている。
最近はあまり体調もよくないようで、またソロのリサイタルもあまりやっていないようだが、こうやってまとめて見るとやはり大音楽家であり、また、気まぐれでやっているのではなく思慮に基づいていることもよく分かる。実にいい番組であった。

○「ベルリン・フィル音楽紀行」(フジテレビ)
招聘がフジテレビということで、
クラシックファンならずとも引き込まれる120年の歴史を生き抜いてきた「ドイツの至宝」の存在感。壮大な物語の始まりです。
というこの謳い文句を見るとちょっと萎える番組。
番組の詳細はここで、。
・サー・サイモン・ラトルへのインタビュー
・「カラヤン・サーカス」の音楽監督室
・世界最高峰のオーケストラ・楽団員に密着
・三代目指揮者フルトヴェングラー激動の時代
・フルトヴェングラー夫人のメッセージ
・「ベルリン・フィル」戦時中最後のコンサート。運命の日を再現
・ベルリン・フィルと子どもたち
・“フルートの貴公子”エマニュエル・パユ