司会者交代の「N響アワー」(4/9)
ということで、4月9日より大河内奈々子タンにかわって、NHKアナウンサーの高橋美鈴様。「様」を付けたくなるような、池辺先生のダジャレにもニッコリする古典的正統派NHK女性アナウンサーの典型である。
前任者と違い、作曲家、演奏家、指揮者の名前を噛まずによどみなく読んでくれる、ということに感動する自分に感動。
曲目はNHKのサイトを引用するとこう表記されているのだが、
プロメテウス (火の詩)作品60 (スクリャービン)
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ペーテル・ヤブロンスキー
合唱:国立音楽大学
2006年2月25日 第1562回定期 (NHKホール)
交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲そう」から (チャイコフスキー)
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
2006年3月3日 第1563回定期 (NHKホール)
「悲そう」という表記に脱力。
「プロメテウス」は、「色光ピアノ」を本当に使った完全版の世界初演ということで話題となったものだが、前に一度BSで見たときも思ったが、ホールにいたらまた違うのだろうが、あまり曲に集中できなくて「何だこりゃ」状態のうちに終了。(BSで見たとき前プロでやっていた交響曲第1番は、合唱までついているのに曲が「何だこりゃ」だが。)メリットとしてはアシュケナージの指揮姿を見なくてすむことか。
続いての「悲そう」。なんで最近この指揮者・オケでチャイコフスキー交響曲やりすぎなのか。スクリャービンと違い指揮者の姿が見えてしまう。人柄はよさそうで、優秀なピアニストであったのに、指揮は音楽に合わせてギクシャクしながら踊っているだけであるのが悲しい。
N響団員氏のサイトの日記で、
アシュケナージ先生はとても細かい所までニュアンスを大事にされるので、場合によっては私にはどうしたらよいのか良く理解出来ない事があります。微妙な節回しなどはあらかじめ決められるようなものではないと思うのですが、そこまできちんと決めておかれたいようです。ですが結局本番では足並みが揃いませんでした。ピアノのように一人で弾く場合にはルバートをきちんと決める事はできるでしょうが、オーケストラのように何十人もの人が弾く場合には色々約束事をしてもその場になると人によって感じ方が違ってしまうのです。(http://www.nezu.ms/tubuyaki.06.02.html)
とあるが、これからするとコントロールするところとオーケストラの自発性に任せるところの加減に問題があるのか。
